「馬天御嶽」を訪ねました。県道137号佐敷玉城線の「新里坂」を上っていくと、与那嶺商店の手前、左手に「佐敷勤労者体育センター」「馬天御嶽」の標識が見えます。そこを左折し、しばらく進むと、右手に「馬天御嶽」の表示があります。表示にしたがって右折し、滑り止めのついた坂を上っていくと、「馬天御嶽」に到着します。「馬天御嶽」は、琉球三山統一の覇者・尚巴志(しょうはし)の祖父、佐銘川大主の住居跡ですが、もとの場所が大雨で埋没したため、現在地に移されました。
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「馬天御嶽(ばてんうたき)…琉球を統一した尚巴志の祖父佐銘川大主(さめがわうふぬし)が、伊平屋島(いへやじま)を逃れて移り住んだところで、もとの場所(新里公民館の近く)は屋敷跡や井戸・漁網干し場などもありましたが、1959年の大雨による地滑りで埋没し、現在地に移されました。正月や5月・6月ウマチーに地域や門中によって拝されています。」
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「イビの森…もともとイビの氏神(イビの御嶽)が祀られていました。1959年(昭和34年)のシャーロット台風に伴う豪雨により、軽石山(通称)付近が崖崩れ及び地滑りをおこし、その際に、佐銘川大主(さめがわウフシュ)の居住跡一帯が埋没してしまいました。一年後、佐銘川大主城住居跡(馬天御嶽)、佐銘川大主住居跡にあった井戸(上馬天御井戸ウィーバティンウカー、下馬天御川シチャバティンウカー)御天竺神(ウティンジクガミ、天の神への御通し)伊平屋神(佐銘川大主の生地である伊平屋島への御通し所で、ヤマトバンタともいう)が、このイビの森に移転されています。沖縄県南城市教育委員会」
御嶽には、いくつもの拝所があり、当時の人々が、祖先を敬い、節目ごとに祈り、寄り添って生きている様子が伺われます。いつの世も、為政者は、そのようにして、自らを正当化し、そのための仕組みを作ってきたのでしょう。
参照(佐銘川大主の屋敷跡(さめがわうふぬしのやしきあと) | 南城市公式Web ...
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-87.html)
参照(場天御嶽 |「テンペスト」沖縄観光ガイド - Walkerplus http://sp.walkerplus.com/tempest/37.html)
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0102-1629-01 馬天御嶽
0102-1630-01 伊平屋神
0102-1630-02 イビ御嶽
0102-1630-03 御天竺神
0102-1631-01 上馬天御井戸
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0102-1636-03 伊平屋御通し
0102-1637-01屋敷跡
0102-1640-01屋敷跡