奥武山公園内の「改租記念碑」「天頭山」を訪ねました。「陸上競技場」と「沖縄護国神社」の間の道を登った高台、「県立奥武山水泳プール」の裏手上方に、「改租記念碑」があります。近くには、「東京オリンピック記念若人の森」や、いくつかの拝所がありました。
01-0311奥武山周辺の歴史を学ぼう
「改租記念之文(かいそきねんのもん)…1889〜1903年の土地整理が終わったときの記念碑(ひ)で、1907年に建てられました。沖縄(おきなわ)では地租改革(ちそかいかく)にあたるのが土地整理で、古い土地制度(せいど)や税金(ぜいきん)のかけ方を根本から改める改革でした。」
「天頭山(てんとうやま)…奥武山(おうのやま)の一番高いところで、「池城山(いけぐすくやま)」と呼ばれることもあります。そこには、仏教(ぶっきょう)と関わりのある梵字(ぼんじ、古いインドの文字)で書かれたものなど、文字が記された3基(き)の碑文(ひぶん)があります。しかし、何のために誰(だれ)がたてたのか、詳しいことはわかっていません。」
02-0405 沖縄護国神社
03-0405 改租記念碑
04-0405 改租記念碑
05-0405 改租記念碑
06-0405 改租記念碑
「改租記念碑…沖縄県における土地・租税制度の抜本的改革となった土地整理事業(1899〜1903年)の完了及び、この事業を推進した第8代沖縄県知事奈良原茂(ならはらしげる、1892〜1908年在任)の実績を讃えた記念碑。記念碑の文章は、大蔵大臣、内閣総理大臣を歴任した松方正義(まつかたまさよし)の筆による。1908年7月4日、同じく建立された奈良原の銅像とともに除幕式が行われた。 1879年に設置された沖縄県では、世替(よが)わりにともなう人心の動揺を抑えるため、琉球王国時代の『旧慣温存(きゅうかんおんぞん)』の方針がとられた。国家財政の基礎となる税収入についても、王国時代の『地割制度(じわりせいど)』(一定の周期で耕す土地を割り替えること)や宮古・八重山地方の『人頭税(にんとうぜい)』など旧来の土地・租税制度により物納されたが、土地の質入・売買など土地制度の変容や徴収方法の不統一・不公平により矛盾を抱えていった。この問題を解決すべく、土地整理事業が実施された。 事業では、官・民有地の区別を明確にし、民有地での私的所有が認められ、さらに土地の所在地や収穫量などを勘案して地価を設定し、地租の課税基準が定められた。これにより、沖縄においても土地の個人所有及び土地所有者をもって納税者(金納)とする近代的な土地・租税制度が確立し、納税額による選挙権の付与など、税にもとづく近代国家体制が整備された。 なお、同時に建立された奈良原の銅像は、戦時体制下に出された金属類回収により供出されたと思われ、現在は銅像台座のみが残されている。」
07-0405
08-0405 東京オリンピック記念若人の森
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「改租記念碑」の場所から一旦降り、左方向に周り、「沖宮」方面に行きました。「沖宮」の本殿から、階段を登りきった高台に、「天頭山」があります。近くには、「ききみあぐむが節」の石碑、「すべての人の心に花を」の石碑、「うるま世界平和の塔」「包丁司」「春日大神、天照皇大神、八幡大神」の石碑などがありました。
13-0405 沖宮
参照(沖宮 (那覇市) http://www.genbu.net/data/ryukyu/oki_title.htm)
14-0405 沖宮
15-0405 シーサー
16-0405 シーサー
17-0405 沖宮
18-0405
19-0405 拝殿
20-0405 拝殿
21-0405 神輿之碑
22-0405 八坂神社
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24-0405
25-0405
26-0405 日本の平和の記念樹 梛 なぎ
27-0405 日本の平和の記念樹 梛 なぎ
28-0405 天頭山
29-0405 天頭山
30-0405
31-0405 うるま世界平和の塔
32-0405 うるま世界平和の塔
33-0405 ききみあぐむが節
34-0405 すべての人の心に花を
35-0405 包丁司
36-0405 春日大神、天照皇大神、八幡大神
37-0405