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山之口獏 詩碑「座布団」を眺めながらくつろぐ…与儀公園

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 那覇市寄宮の「与儀公園」に、「山之口獏詩碑」があります。那覇市民会館側の通路を通り、公園に入った右手の所です。

 与儀公園は、那覇市最初の都市計画公園の一つで、沖縄県立図書館、那覇市立図書館、那覇市民会館と隣接しています。園内では、散歩・ウォーキング・ジョギングをしたり、ベンチに腰掛けくつろいだりしている姿が見られます。年齢を重ねた「ガジュマル」や「カンヒザクラ」「ヤシ」などに加え、季節の花が植えられています。

 公園内には、広場、野外ステージが整備され、年間を通し、各種のイベントが開催されます。「D51形蒸気機関車」も見られ、「山之口獏 詩碑」「恒久平和」の石碑などがありました。

01-0412 与儀公園

02-0412 シーサー

03-0412 シーサー

04-0412 蒸気機関車D-51

05-0412 山之口獏 詩碑

06-0412 山之口獏 詩碑

07-0412 山之口獏 詩碑

「山之口貘 詩碑(やまのぐちばくしひ)那覇市寄宮1丁目与儀公園内…1975年7月、貘の十三回忌に合わせ、山之口貘詩碑建立期成会(代表宮里栄輝、みやざとえいき)により建てられた詩碑。碑文には、1935年に発表された「座布団(ざぶとん)」が刻まれている。 山之口貘は、本名を山口重三郎(やまぐちじゅうさぶろう)といい、父重珍(じゅうちん)、母カマドの三男(四男三女の第五子)として1903年9月11日、那覇区東町(当時)に生まれた。沖縄県立第一中学校(首里高等学校の前身)在学中から新聞などに詩を投稿。その後、山城正忠(やましろせいちゅう)、国吉真哲(くによししんてつ)等とともに『琉球詩壇連盟』の結成に参加し、この頃から『山之口貘』のペンネームを使用した。1925年2度目の上京を果たし、職を転々としながらも文学者佐藤春夫や金子光晴等の支援を受け詩を発表した。 処女詩集『思弁の苑』(1938年)、『山之口貘詩集』(1940年)、太平洋戦争後には、『定本山之口貘詩集』(1958年)を発表した(第二回高村光太郎賞受賞)。1958年11月、34年振りに帰郷し、親族・友人等の歓迎を受け、2ヵ月近く滞在した。 1963年7月19日、胃ガンのため死去、享年59。千葉県松戸(まつど)市の八柱(やばしら)霊園に葬られた。死後4冊目の詩集『鮪(まぐろ)に鰯(いわし)』(1964年)が発表され、金子光晴はその本の中で、『貘さんは第一級の詩人で、その詩は従って第一級の詩である』と賞賛した。 未発表の作品を含む直筆原稿約7,500点余りは、遺族により沖縄県立図書館へ寄贈され、2010年11月『山之口貘文庫』として開設された。」

参照(山之口貘文庫 詩人が残した沖縄への遺産 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-167200-storytopic-154.html

参照(山之口貘詩碑説明板除幕式 http://www.city.naha.okinawa.jp/wk_simin/snap_snap/y2011/m09/0915yamanoguti.htm

08-0412 山之口獏 詩碑(座布団)

土の上には床がある/床の上には畳がある/畳の上にあるのが座蒲団で/その上にあるのが楽といふ/楽の上には/なんにもないのであらうか/どうぞおしきなさい/とすゝめられて/楽に坐ったさびしさよ/土の世界をはるかに/みおろしてゐるやうに/住み馴れぬ世界が/さびしいよ/山之口獏

09-0412 恒久平和

10-0412

11-0412

12-0412

13-0412

14-0412

15-0412

16-0412

17-0412

18-0412

 山之口獏の「喪のある景色」は、何度も読み返している詩の一つです。

うしろを振りむくと/親である/親のうしろがその親である/その親のそのまたうしろがまたその親の親であるというように/親の親の親ばっかりが/昔の親へとつづいている/まえを見ると/まえは子である/子のまえはその子である/その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように/子の子の子の子の子ばっかりが/空の彼方へ消えいるように/未来の涯(はて)へとつづいている/こんな景色のなかに/神のバトンが落ちている/血に染まった地球が落ちている


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