「安里川」「久茂地川」には、「安里橋」「牧志長虹橋」「泉崎橋」「松田橋」など、いくつかの橋が架けられ、「首里王府、安里、泉崎」などと浮島「那覇」が結ばれ、那覇が貿易港として発展する基礎が築かれました。
参照(那覇市 - Wikipedia_A3 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E8%A6%87%E5%B8%82#.E7.90.89.E7.90.83.E7.8E.8B.E5.9B.BD.E6.99.82.E4.BB.A3)
那覇市久茂地、国道58号線「泉崎」交差点近くに「旧泉崎橋跡」があります。「旧泉崎橋」は、久茂地川に架けられた三連アーチの石造橋で、那覇と泉崎、楚辺・壺川方面を結ぶ交通の要所にありました。那覇側のたもとには孔子廟・明倫堂がありました。「旧泉崎橋」は、冊封使周煌が著した「琉球国志略」で、「球陽八景」の一つ「泉崎夜月」と描かれ、漢詩や詩が詠まれるなど、名橋として知られていました。
01-0515 崇元寺橋
02-0515 崇元寺橋
03-0517 安里川
04-0515 安里橋跡
05-0517 牧志長虹橋
06-0511 久茂地川
07-0607 泉橋交差点
08-0511 国道58号線
09-0706 泉崎交差点
10-0607 芝生公園
11-0511 那覇市役所、県庁方面
12-0637 久米大通り
13-0607 西消防署通り
14-0607 那覇役所跡
15-0706 泉崎橋
16-0706 泉崎橋
17-0706 泉崎橋
18-0511 ゆいレール
19-0607 那覇商工会議所、孔子廟跡
20-0706 久茂地川
21-0706 旧泉崎橋跡
22-0706 旧泉崎橋跡
23-0706 旧泉崎橋跡
「旧泉崎橋跡(キュウイズミザキバシアト)那覇市久茂地1-6…久茂地川(くもじがわ)に架けられた橋跡。泉崎村(いずみざきむら)と対岸に浮かぶ『浮島(うきしま)』(那覇、なは)を結んだ。橋の架橋年は不明。1683年来琉の冊封使汪楫(さっぷうしおうしゅう)が著した『使琉球雑録(しりゅうきゅうざつろく)』に『泉崎橋口(いずみざきはしぐち)』と登場する。 1717年、那覇港への土砂の堆積を防ぎ、川の流力を高めるために行われた浚渫(しゅんせつ)工事に伴い、泉崎橋の規模を大きくしたという(「新濬那覇江碑文、しんしゅんなはひぶん」)。橋は三連アーチの石造橋であった。 橋は那覇と泉崎、楚辺(そべ)・壺川(つぼがわ)方面を結ぶ交通の要所にあり、那覇側のたもとには道を隔てて孔子廟(こうしびょう、1673年創建)・明倫堂(めいりんどう、1718年創建)があり、泉崎側には船荷の卸し場(「船蔵、フナングヮー」)や市場(「橋口マチグヮー」)が立ち、賑わいを見せたという。 1756年来琉の冊封使周煌(しゅうこう)が著した『琉球国志略(りゅうきゅうしりゃく)』では、泉崎橋が『球陽八景(きゅうようはっけい)』の一つ『泉崎夜月(いずみざきやげつ)』として描かれ、漢詩や詩が詠まれるなど名橋として知られた。 1936年(昭和11)に発動機船を通すため撤去する計画が持ち上がったが、保存運動が起こり残された。1945年(昭和20)の沖縄戦で破壊され、1958年(昭和33)元の位置から120m程下流にアーチのかかったコンクリート橋が架けられた。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」
24-0706 戦前の泉崎橋
25-0706 琉球八景 泉崎夜月