国道58号を北上すると、北谷町「砂辺」と嘉手納町「水釜」の間、左手海岸側の小高い場所に、「野國貝塚」「野國いも宣言」の碑があります。
01-0124 砂辺
02-0124 野國貝塚、野國いも宣言
03-0124 野國貝塚
04-0124 野國貝塚
「野國貝塚…東西の範囲は国道58号から海側(西側)まで約100m、南側の野国川附近から北方に約400mの範囲に及ぶ貝塚群で、南側を『A地点』北側を『B地点』と呼んでいる。『C地点』は砂丘(さきゅう)上にあったが現在はカデナマリーナのビーチとして利用され痕跡(こんせき)はない。県文化課は『B地点』の排水路改修工事(はいすいろかいしゅぅこうじ)に係(かか)る緊急発掘調査(きんきゅうはっくつちょうさ)を昭和56年1月19日から同年3月20日(第一次)までと昭和56年11月4日から昭和57年2月20日(第二次)にかけて実施した。発掘調査の結果、上層から縄文時代(じょうもんじだい)前期の条痕文土器(じょぅこうもんどき)が出土し、下層(かそう)から縄文時代早期の爪形(つめがた)文土器が大量に出土した。A地点は沖縄新石器の時期で開元通宝(かいげんつうほう)が出土した。C地点はB地点の南側、畑地一帯で畑地から後期系土器などが採集(さいしゅう)され、周辺からは青磁(せいじ)なども採集された。」
05-0124 野國いも宣言
06-0124 野國いも宣言
07-0124 野國いも宣言
「甘藷発祥の地 野国いも宣言…1605年、我が町の先達・野國総管によって中国福建省からもたらされた甘藷は、野國総管生誕の地・野國を発信基地として琉球の全ての村々へ、そして、薩摩を経て全国へと広まり、人々を飢えや飢饉から救い、全国民が等しくその恩恵に浴することになりました。今日、甘藷は未来を希求する健康食品として注目を浴びております。甘藷伝来400年の節目を迎える2005年、野國総管の偉業を奉祝する『野國総管甘藷伝来400年祭』が全町民の手により挙行されました。この慶賀を機に、我が国における甘藷発祥の地・嘉手納を全国に広く発信するとともに、野國総管を称え、甘藷を『野國いも』の愛称で呼ぶことを高々と宣言し、ここに記念碑を建立します。 2005年10月1日 野國総管甘藷伝来400年祭実行委員会 実行委員長 嘉手納町長 宮城篤実」
参照(野国いも宣言:野國總管と甘藷 | 嘉手納町について | 沖縄県嘉手納町 http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/sengen/index.html)
参照(野國總管 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%9C%8B%E7%B8%BD%E7%AE%A1)
08-0124 KADENA MARINA SEASIDE RISTORANTE
09-0124