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「古武道」「シーサー」「カンムリワシ」…各種スポーツ施設があるイベント会場に隣接した「奥武山公園駅」

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 小禄駅から、車内放送で、沖縄のわらべうた「じんじん(沖縄方言、ホタル)」を聞きながら、「奥武山公園駅」に着きました。「奥武山公園駅」の染織デザインは「琉球絣」、「アートガラス」は「沖縄の伝統的な古武道」、「アートタイル」は「カンムリワシ」(石垣島や西表島に生息している鷲。国指定特別天然記念物、国内希少野生動植物に指定)です。

 駅に隣接して、「奥武山総合運動場…奥武山運動公園」があります。公園内には、沖縄県立武道館、陸上競技場、野球場「沖縄セルラースタジアム那 覇」、体育館、弓道場、プール、テニスコート、多目的広場、沖縄県護国神社などがあり、年間を通して、多種のスポーツ、文化行事が開催されています。「夏まつり」「産業まつり」「那覇まつり」など、各種のイベント会場としても利用されている場所です。「奥武山運動公園」入口の案内板に、「今の那覇は浮島だった…。奥武山、小島から現在へ」「古海岸、1700年頃、1868年頃(明治初年頃)」「奥武山球場の歴史」など、興味深い写真と説明文がありました。近くには、「沖縄県立小禄高等学校」があります。

参照(奥武山公園 沖縄県立武道館 - 公式サイト_jp- http://ounoyama.jp/

参照(沖縄県立小禄高等学校 http://www.oroku-h.open.ed.jp/

00-0311 奥武山公園駅

01-0318 奥武山公園駅

02-0311 沖縄の伝統的な古武道

03-0311 カンムリワシ

04-0318 シーサー

05-0318 シーサー

06-0311 奥武山公園駅

07-0311 奥武山公園駅

08-0311 奥武山公園駅周辺

09-0318 奥武山公園駅周辺

10-0318 奥武山公園駅周辺

11-0318 奥武山公園駅周辺

12-0403 奥武山公園駅周辺

13-0318 まちなみ号

14-0318 まちなみ号

15-0318 まちなみ号

16-0311 奥武山運動公園

17-0311 今の那覇は浮島だった…。奥武山、小島から現在へ

「今の那覇は浮島だった…。奥武山、小島から現在へ…『昔』の那覇の水際線は左図の様に、現在の安里川の崇元寺の道向かいが漁場であり、ガーブ川の与儀公園手前にケーシンダーという山原船の船着き場でした。また、国場川の真玉橋あたりまで漁船や山原船が出入りしたといわれ、現在の泉崎から沖合に松や福木が鬱蒼とした浮島がありました。この頃の那覇は奥武山、三重城、御物城、ガーナー森等大小幾つかの島からなる緑豊かな浮島で景観のとても美しいところでした。那覇バスターミナル構内の仲島大石は、その面影を残しています。」

18-0311 古海岸、1700年頃、1868年頃(明治初年頃)

「古海岸…この頃の奥武山は、国場川の河口(漫湖)に浮かぶ小島で、奥武山の東側に御物城や君南原(拝所があった)そして西側にガーナー森、更に北側のアカバタキーにもいくつかの小島がありました。また、現在の那覇港付近には渡地や硫黄城、港口付近には三重城や沖の寺(臨海寺)、屋良座森やイビヌ前、住吉等が海中の小島としてありました。」
「1700年頃…この頃は上流からの土砂の堆積等によって、漫湖は陸地化しはじめます。赤バタキーの小島の一部も陸地化しはじめ、渡地や硫黄城がつながり、三重城や沖の寺(臨海寺)も通堂(現在の通道町)から海中道路でつながり、屋良座森城やイビヌ前、住吉も陸続きになりましたが、御物城や奥武山、ガーナー森はまだ小島でした。」
「1868年頃(明治初年頃)…奥武山も堆積土砂で少しずつ大きな島となってきましたが、御物城、ガーナー森はまだ小島でした。明治時代になり、那覇港が主要港として利用されるようになると、三重城周辺や唐船小堀が埋め立てられ、その後、漫湖方面にも埋め立て地が広がりました。この頃の埋め立ては、比較的埋め立てが容易な『潟』といわれる浅瀬に行われました。」

19-0311 現在(平成年14年)

「現在(平成年14年)…現在、屋良座森城は米軍によって取り壊され、みる影もありませんが三重城、御物城、ガーナー森などは陸上の小丘として残り、昔の面影をかろうじて残す貴重な存在となっています。奥武山公園の国場川沿いでは水辺環境整備として、国場川の護岸を親水護岸に改修し小規模な埋め立てにより親水広場が造成されました。」

20-0311 奥武山球場の歴史

「奥武山球場の歴史…沖縄県における野球の歴史は、1894年(明治27年)沖縄中学(後の一中、現在の首里高)の修学旅行隊が京都の三高(現在の京都大学)を訪問した際に野球を教えられ、その後贈られた用具を使って、見様見真似でプレーしたのが始まりでした。その後、野球は戦争の影響で一時中断した時期があり、戦争復興期には、若い選手たちの活躍が県民に希望と活力を与えてくれました。このような沖縄県野球の歴史の中で、昭和35年に整備された奥武山球場は、県内初の本格的な野球場として、県内球児のあこがれの野球場で多くの熱闘の舞台となってきました。」

21-0311 奥武山運動公園

22-031 野球場「沖縄セルラースタジアム那覇」

23-0311 奥武山運動公園

24-0311 奥武山運動公園

25-0403 沖縄県立小禄高等学校

26-0403 沖縄県立小禄高等学校

27-0403 沖縄県立小禄高等学校


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