「平良真地跡」は、「大名児童館」「大名公民館」近くにある、かつての馬場跡です。琉球王国時代には、松並木(約300m)の間で、「馬勝負」「馬揃い」が行われ、馬場のほぼ中央には、国王が見物する「御桟敷」があり、東端には、馬を水浴びさせる「馬浴せ小堀」がありました。琉球処分後は、首里城に置かれた沖縄神社の例祭日に奉納競馬が行われ、飾り立てた馬200頭余りが、守礼門側の記念運動場から、平良真地まで行進し、多くの見物客が訪れました。
01-0303 大名児童館
02-0422 大名児童館
参照(大名小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/oona-es/)
03-0422 大名町公民館
04-0422 大名界隈歴史マップ
05-0421 平良真地跡
06-0422 平良真地跡
07-0421 平良真地跡
08-0422 平良真地跡
09-0422 平良真地跡
「平良真地跡(テーラマージアト) 平良真地遺跡 那覇市首里大名町1丁目…馬の調教及び競馬場跡。 琉球・沖縄における競馬は、『馬勝負(ンマスーブ)』・『馬揃い(ンマスリー)』といい、前後の足を同時に、左右同時に繰り出すのを特徴とした(『側対歩(アシクマスン)』)。また、馬具の華やかさ、乗り手の凛々しさなどが勝負の対象となった。 平良真地は、『平良馬追い(テーランマイー)』ともいい、識名真地(シキナマージ、馬場)とともに琉球王国の二大馬場であった。1695年、首里(しゅり)の北、西原間切平良村(にしはらまぎりたいらむら、現那覇市首里平良町)の西に地を定め、設置された。長さは約300mにも及ぶ直線で、幅は約15mあったという。馬場のほぼ中央には、国王が競馬を見物する『御桟敷(ウサンシチ)』があり、東端には、馬を水浴びさせる『馬浴せ小堀(ンマミシクムイ)』があった。また、馬場の両側は松並木であった。 平良真地は、1897年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)以降は、ほとんど使われなくなったが、1924年(大正13)、首里城に沖縄神社が置かれて以来、10月20日の神社例祭日に奉納競馬が行われた。この日は、沖縄本島中・南部から馬愛好家が守礼門(しゅれいもん)側の記念運動場(現首里城レストランセンター一帯)に集まり、色とりどりの馬具で飾り立てた馬に、勇ましい若者が乗り、200頭余りが2列に並んで、平良真地まで行進した。その行列は、例祭の一大イベントで、壮観であったという。また、馬場では、午前10時頃から午後4時頃まで競馬が行われ、多くの見物客が訪れたという。 1941年(昭和16)の日米開戦の影響により、平良真地での競馬は中止となり、周囲の松も、陣地構築のため切り倒され、馬場は掘り起こされて畑となった。沖縄戦後、一帯は住宅地となったが、幅広く、まっすぐに延びた道路が、往事の姿をとどめている。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」
10-0422 平良真地跡
11-0422 平良真地跡
かつて、宝口には紙漉所があり、百田紙の製作が行われていました。現在は、首里儀保町の「蕉紙菴」で、安慶名清氏が芭蕉紙・琉球紙の魅力を伝えています。
参照(琉球紙とは 琉球紙の世界 〜新しい可能性と歴史〜 http://ryukyu-shi.com/concept/index.html)
12-1119 宝口樋川へ
13-0421 紙漉所跡
14-0421 紙漉所跡
15-0421 紙漉所跡
16-0421 紙漉所跡
「紙漉き所跡(カミスキジョアト)…琉球王国時代から昭和初期にかけての紙漉所跡。宝口(たからぐち)の紙漉所ともいう。 琉球における紙漉の技術は、大見武憑武(おおみたけひょうぶ)が1686年鹿児島へ赴き造紙法を修業。帰国後の1695年に首里金城(しゅりかなぐすく)村に宅地を賜り、杉原紙(すいばらがみ)・百田紙(ももたがみ)を漉いたのに始まる(金城の紙漉所)。1717年祖慶清寄(そけいせいき)・比嘉乗昌(ひがじょうしょう)らが芭蕉紙(ばしょうし)を始めて作り、翌年王府の援助を受け首里山川(やまがわ)村に一宅を設けて紙漉所とした(山川の紙漉所)。以来、カジノキ・糸芭蕉(いとばしょう)・青雁皮(あおがんぴ)を原料に、色半紙・広紙・奉書紙・百田紙・藁紙なども作られた。 宝口の紙漉所は、1840年首里儀保(ぎぼ)村の一角『宝口』に家屋を建てて製紙区域とし、製造が途絶えていた百田紙の製作を行わせたのに始まる。これにより宝口では百田紙、山川では芭蕉紙が作られたとされる。 紙漉は王府の役所『紙座(かみざ)』の管理のもと行われたが、1879年(明治12)の琉球処分の後も、この一帯では民間の手で紙漉が続けられた。 設置 2007年2月 那覇市市民文化部歴史博物館」
17-0421 紙漉所跡
18-0421 紙漉所跡
19-0421芭蕉庵標識
20-0421
21-0421 宝口樋川へ
22-1119 宝口樋川
23-1119 芭蕉庵