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「若狭小学校」児童の標語・絵画、「雪の崎跡」

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 「那覇市立若狭小学校」通用門の塀に、「ありがとう!相手を思う大切な気持ち」「『手伝いましょうか』その優しさが心に響く思いやり」「声かけよう やさしい言葉 わたしから」「薬物は 心と体の死への一歩」「この地球はあなたのゴミばこなのですか?」「赤信号 渡った先に 事故が待つ」「空き缶を ゴミ箱めがけて ナイスシュー」「美ら島をみんなで守ろう ポイ捨てなし!」「一度だけ 甘い気持ちが落とし穴」「早く帰ろう 家族の笑顔が待っているよ」などの「標語」や「絵画」が掲げられていました。

参照(那覇市立若狭小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/wakas-es/

 小学校に隣接した「若狭海浜公園」の一角には、「雪の崎跡」の説明板があり、一帯は、「拝所」になっていました。

01-0511 若狭小学校

02-0511 若狭小学校

03-0511 若狭小学校児童の作品

04-0511 若狭小学校児童の作品

05-0511 若狭小学校児童の作品

06-0511 若狭小学校児童の作品

07-0511 若狭小学校児童の作品

08-0511 若狭小学校児童の作品

09-0511 若狭小学校

10-0511 若狭小学校1年生の作品

11-0511 若狭小学校2年生の作品

12-0511 若狭小学校3年生の作品

13-0511 若狭小学校5年生の作品

14-0511 若狭小学校6年生の作品

15-0511 若狭小学校

16-0511 若狭小学校

17-0511若狭海浜公園

18-0511若狭海浜公園

19-0511 雪の崎跡

20-0511 雪の崎跡

21-0511 雪の崎跡

22-0511 雪の崎跡

「雪の崎跡(ユーチヌサチアト)…那覇市の北西部にあった岬の名称。中国からの冊封使の記録には「雪崎山(せっきざん)」と見える(李鼎元、りていげん、『使琉球記、しりゅうきゅうき』)。 『雪の崎(ユーチヌサチ)』は、若狭町(わかさまち)の中央北側に広がっていた『上の毛(ウィーヌモー)』と呼ばれる高さ20m程の岩礁台地の突端。その下部が波の浸食により削られ、方言で『ユーチ』と呼ばれる斧(よき、小型な斧、斧は方言で『ウーン』という)の形に似ていることから、『ユーチヌサチ』と呼ばれ、『ユーチ』の音から『雪』の字が充てられた。 『上の毛』は古くから拝所として利用され、崖下には大きな洞穴があったという。また『上の毛』の東側は墓地地帯で、さらに『アカチラ原(バル)』と呼ばれる海岸沙汀地(さていち)が広がっていた。西側には、耳切坊主(ミミチリボージ)で有名な黒金座主(くろがねざす)の寺とされる護道院(ごどういん)があった。 沖縄戦後も『上の毛』はその姿をとどめていたが、1951年3月に米軍の立ち入り禁止区域から辻(つじ)・若狭町が開放されたことによる区画整理事業の実施、さらに泊港南岸地域の埋め立て(現前島3丁目・若狭3丁目一帯)により削り取られ、その岩石は埋め立て工事に使用された。1959年9月、残っていた『雪の崎』の岩礁は、ダイナマイト爆破により取り除かれ、『上の毛』跡地には若狭小学校(1957年開校)が新設され、周辺に住宅地・公園用地が整備された。現在、爆破により残った岩の一部が公園用地に取り込まれ、周辺住民の拝所として利用されている。 設置 2012年4月 那覇市歴史博物館」 

23-0511 雪の崎跡

24-0511 雪の崎跡

25-0511 雪の崎跡

26-0511 拝所

23-0511 祠

28-0511 美女留、弥勒神、土帝君

29-0511

 

30-0511


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