「うるま市の文化財」をもとに、「ガーラ矼」を探したのですが、なかなか見つけることができませんでした。そこで、「勝連図書館」で尋ねたところ、職員のYさんが、地図を見せながら説明してくれました。「今は、この場所にいます。ここから右折して進むと大きな道路に出ます。そこを右折して進むと信号があるので、信号を左折して、『勝連小学校』沿いに進んでいくと、公民館があります。その道を進むと、あしびなーが見えます。そのまましばらく行くと、ガーラ矼に着きます。」とのことでした。地図を見ながら、説明された通りに行くと、勝連小学校、内間公民館、内間ホーヤー木、馬場跡、内間あしびなーがあり、無事、ガーラ矼にたどり着くことができました。「勝連図書館」のYさん、ありがとうございました(5月20日)。今日(5月30日)、再度尋ねました。
参照(文化課トップ http://www.city.uruma.lg.jp/1/289.html)
参照(うるま市立図書館-勝連図書館 http://www.library.city.uruma.lg.jp/2/1989.html)
01-0530 勝連小学校
02-0520 勝連小学校
03-0520 勝連小学校
04-0520 勝連小学校
05-0520 勝連小学校
06-0520 勝連小学校
07-0520 勝連小学校
08-0520 勝連小学校
09-0520 勝連小学校
10-0520 勝連小学校
11-0520 勝連小学校
参照(うるま市立勝連小学校_jp- http://katsuren-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/)
12-0530 内間公民館
13-0530 内間ホーヤー木
14-0520 内間ホーヤー木
歴史的な「内間ホーヤー木」は台風で倒れ、現在の木は、二代目です。
15-0520 内間ホーヤー木
16-0520 内間ホーヤー木
「内間ホーヤー木 勝連町文化財第3号…このガジュマルの木は、内間村(むら)の歴史を語る貴重(きちょう)な古木(こぼく)です。18世紀の終わりごろ、内間村(むら)が与那城三叉路の山手側にある古島原から、現在地に移動した時に植えられたとのいい伝えがあります。 村(むら)のウスデークの歌にも登場する木です。 内間這(ほ)うや木(きー)ぬ 枝むちぬ美(ちゅ)らさ 内間みやらびぬ 身持ち(みむち)美(ちゅ)らさ 文化財保護条例により、勝連町指定文化財に指定します。 平成2年3月26日 勝連町教育委員会」
17-0520 馬場跡
18-0520 馬場跡
19-0520 馬場跡
「馬場跡(うまばあと)…この馬場は、現在の与那城小学校にあった『北馬場』に対して、『南馬場』と呼ばれていました。 民話によると、この馬場で豊年を祈願するアブシバレーのとき、馬ハラセー(競馬)を開催し、他地域からいい馬が集まったといわれています。 設置 うめま市教育委員会」
20-0530 内間あしびなー
21-0530 内間あしびなー
22-0530 内間あしびなー
23-0530 ガーラ矼へ
24-0520 ガーラ矼
25-0520 ガーラ矼
26-0530 饒辺矼
27-0530 饒辺矼
28-0520 饒辺矼
29-0520 ガーラ矼
30-0520 ガーラ矼
31-0520 ガーラ矼
32-0520 ガーラ矼
33-0520 ガーラ矼
「ガーラ矼(ばし)うるま市指定文化財『建造物』…ガーラ矼(ばし)は、1928年(昭和3年)に木材から石材の矼へ改修されました。 木材の橋は、饒辺集落の学童が小学校へ通うために造られましたが、大雨が降るとその橋は流されてしまう危険があり、高さ5m、幅2m、横断延長5mのアーチ型の矼になりました。その構造は通行人等が通り、重力がかかることで堅古(けんこ)な矼になるように造られ、建築家より高く評価されています。 昔の石造りのガーラ矼は、現在の橋の下に復元されています。 設置 2011年3月 うるま市教育委員会」
34-0520 ガーラ矼
35-0520 ガーラ矼
36-0520 与勝第二中学校方面
37-0530 与勝第二中学校
38-0530 与勝第二中学校
39-0530 与勝第二中学校
40-0530 与勝第二中学校
41-0530 与勝第二中学校
参照(うるま市立与勝第二中学校_jp- http://yokatsu2-chu.edu.city.uruma.okinawa.jp/