那覇市安里、「安里会館」に隣接して、「金満宮」があります。安里会館には、「沖縄空手道小林流、小林館協会、安里道場」があり、駐車場の一角には、「安里二区自治会」の看板を掲げた部屋がありました。会館脇の階段を上り、「金満宮」をお参りしました。「金満宮」の由来などを記した説明板があるといいのですが……。
この辺りは一方通行なので、車で自由に行き来することができず、歩いて、「オランダ屋敷跡」を探すことになりました。一旦、県道251線(県立博物館前から安里一丁目に接続している)に下り、目星をつけて、階段を上りました。そこは、「安里二区自治会」の男女数人が、花壇に花を植えているところでした。周辺をしばらく歩き回ったのですが、見つけることができず、休憩している男性に、「オランダ屋敷跡を探しているのですが……」と尋ねると、「すぐそこの坂を上りきった所にありますよ」と、教えてくれました。
坂の途中の花壇や道端の花がきれいです。坂を上った所に、「オランダ屋敷跡」の説明板がありました。帰り際、先ほどの人にお礼を言うと、側にいた自治会長の玉井さんが、「かつて、この辺一帯は傾斜地で、あの場所は丘の上の高い場所でしたよ」と話してくれました。
01-0603 安里会館
02-0603 安里会館
03-0525 安里二区自治会
04-0525 金満宮
05-0525 金満宮
06-0525 金満宮
07-0525 金満宮
08-0525 金満宮
09-0525 金満宮
10-0525 奉納
11-0525 県道251線
12-0525 県道251線
13-0525 那覇公証センター
14-0525
15-0525
16-0603 段々畑
17-0603
18-0603
19-0603 安里二区自治会花壇
20-0603 坂を上る
21-0603 坂を上る
22-0603 坂を上る
23-0603 高層ビル
24-0531 オランダ屋敷跡
25-0531 オランダ屋敷跡
26-0531 オランダ屋敷跡
27-0531 オランダ屋敷跡
28-0531 オランダ屋敷跡
29-0531 オランダ屋敷跡
「オランダ屋敷跡(ウランダーヤシキアト)…日本メソジスト教会の外国人宣教師の屋敷跡。かつて沖縄では欧米人のことを「ウランダー」(オランダ人)と呼んだことから、その名が付いた。 沖縄におけるメソジスト教会の本格的な布教は、1892年(明治25)、久米(くめ)に礼拝堂が開かれたことに始まる。1906年(明治39)、アメリカ人ヘンリー・B・シュワルツ博士(1862〜1945年)一家が派遣され、布教・伝道を行った。翌年シュワルツは安里(あさと)の高台に居を設け、那覇(なは)・首里(しゅり)の教会で活動するとともに、沖縄県立中学校(後の県立第一中学校、現首里高校)で英語を教えた。シュワルツの屋敷では英語聖書研究会も開かれ、師範学校や中学校の生徒が出入りしたという。 1911年(明治44)、シュワルツ一家の離沖に伴い、後任にアメリカ人アール・R・ブール宣教師(1876〜1974年)夫妻が着任した。1913年(大正2)までのわずかな滞在であったが、離任後も沖縄との関係を持ち、泊外人墓地の修復や、護国寺(ごこくじ)にあるベッテルハイム記念碑建立に尽力した。また、シュワルツやブールは、伊波普猷(いはふゆう)ら沖縄の知識人とも交流があった。 オランダ屋敷は、その後メソジスト教会信者で小沢書店店主小沢朝蔵(おざわちょうぞう)、医師大久保孝三郎(おおくぼこうさぶろう)の管理に置かれたが、後に開南(かいなん)中学校の寄宿舎・農園として使用された。沖縄戦後、一帯は住宅地となった。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」
30-0531 オランダ屋敷跡
31-0531 花壇の花
32-0531 花壇の花
33-0531 花壇の花
34-0531 花壇の花
35-0531 花壇の花
36-0531 路傍の花
37-0531 ホウオウボク(県道251線)
38-0531 ホウオウボク(県道251線)