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地域の歴史や文化が刻み込まれている「歴史散歩の道」「識名馬場跡」

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 那覇市繁多川から「識名霊園」方面に向かう途中、「繁多川公民館」近く、「繁樹園グリーンセンター」わきの「ホウオウボク」がきれいな花を咲かせているのが目に入ったので、車を停め、しばらく観察しました。そこから「識名霊園」方面に進み、右手に「那覇市納骨堂」の標識がある箇所まで来ると、左側に、「識名馬場跡」「歴史散歩の道『しんかぬちゃーまーい』」の標識がありました。そこを左折して、細い道を進んでいくと、「識名馬場跡」の説明板が設置されている場所に来ました。説明板は、街灯の石柱に固定されています。その場所は何度も通ったのですが、今回、やっと、説明板を見つけることができました。

01-0605 繁樹園グリーンセンター

02-0605 繁樹園グリーンセンター

03-0605 ホウオウボク

04-0605 ホウオウボク

05-0605 ホウオウボク

06-0605 ホウオウボク

07-0605 那覇市納骨堂

08-0605 識名馬場跡標識

09-0605 識名馬場跡標識

10-0605 しんかぬちゃーまーい

11-0605 しんかぬちゃーまーい

「歴史散歩の道『しんかぬちゃーまーい』…『しんかぬちゃーまーい』は、琉球王朝時代(りゅうきゅうおうちょうじだい)の古(ふる)い道筋(みちすじ)をたどりながら、地域(ちいき)の歴史(れきし)や文化遺産(ぶんかいさん)に接(せっ)し、楽(たの)しく散策(さんさく)できるように整備(せいび)された散歩道(さんぽみち)です。 この散歩道(さんぽみち)は、首里城継世門(シュリジョウケイセイモン)から識名園(しきなえん)に至(いた)る、およそ1.9kmの道筋(みちすじ)にある崎山馬場跡(さきやまばばあと)、雨乞嶽(あまごいタキ)、御茶屋御殿跡(ウチャヤウドゥンアト、王家の別邸)、ヒジ川ビラ(石畳道、いしだたみみち)識名馬場跡(しきなばばあと)などの史跡(しせき)をたどるように整備(せいび)されています。 道(みち)しるべをたどっていくと、地域(ちいき)の歴史(れきし)や文化(ぶんか)が身近(みぢか)なところに刻(きざ)み込(こ)まれている様子(ようす)を見(み)ることができます。 那覇市教育委員会 平成19年(2007年)3月設置」

12-0605 識名馬場跡へ

13-0605 識名馬場跡

14-0605 識名馬場跡

15-0605 識名馬場跡

16-0605 識名馬場跡

17-0605 識名馬場跡

18-0605 識名馬場跡

「識名馬場跡(シキナババアト)那覇市繁多川4丁目地内…馬の調教所跡。俗に識名(シチナ)マージという。識名馬場は約300mにも及ぶ直線道路で、周囲は松並木であったという。王府の『年中礼式』には正月下旬に那覇(なは)の潟原(かたばる)と識名馬場に於いて諸人の馬乗りが行われると記されている。 昭和初期、周囲は畑地となり、1944年(昭和19)には松木は切り倒され、首里地下に造られた沖縄守備隊司令部陣地の資材に使われた。現在では周囲に家が建ち並んでいるが、直線道路が残り、馬場の雰囲気を残している。 設置 2007年(平成19)2月 平成18年度世界遺産周辺整備事業」

19-0605 識名馬場跡

20-0515 識名馬場跡

 「繁多川字指定文化財、識名馬場跡」の説明板は、「ハンタガー」「メーミチー」「クシミチ」と続いた道の先にありました。

21-0515 識名馬場跡

22-0515 識名馬場跡

「繁多川字指定文化財 識名馬場跡(シチナウマイーあと)…王府時代(第二尚氏)、直轄(ちょっかつ)の三大馬場(ばば)の一つで最大の馬場であった。全長300メートルほどで幅は約30メートルあって、南北の両脇(りょうわき)は低い土手が積まれ、樹齢300年ほどの老松が、その土手に植えられていた。この尚家の馬場は、真喜屋親雲上(マージャペーチン)だけは許可なく使用することが出来た。昭和15年ごろまで、ウマヌイマージュ(馬乗真喜屋)の子孫(しそん)が近くに住んでいた。沖縄戦前の食糧増産奨励どきにこの馬場は開墾(かいこん)され、今や見る影もない。道幅平均約4m 平成21年11月17日 繁多川自治会」


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