「真玉橋」は、琉球王府時代に、首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれ、元は木橋の五連橋で、中央を真玉橋といいました。その後、六連橋となり、大きく美しい曲線を持つアーチを連ね、潮切りを設けた、沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、沖縄戦で破壊されました。
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「真玉橋(まだんばし)…真玉橋は1522年(嘉靖元)に首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれました。その橋は木橋の五連橋で、中央を真玉橋といい、南側が世持橋、北側が世寄橋、両端は名前のない橋でした。1707年(康煕46)に石橋への改築工事が開始され、翌年完成しました。その後、1837年(道光17)に世寄橋を改築し、その北側へ新たに世済橋を築き六連の石橋になりました。 真玉橋は、大きく美しい曲線を持つアーチを連ね、水流から橋を守るため脚部にはスーチリー(潮切り)を設けるなど、構造的にも景観的にも沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたがむ、1945年(昭和20)の沖縄戦で破壊されました。 1996年(平成8)には、戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方でみつかりました。戦後、半世紀を経て再び風格ある姿を表した『真玉橋』を後世のために保存活用を図るように住民運動が展開され、その結果、豊見城市側で道路下に一部埋め戻し保存を行い比較的保存状態の良いアーチ部分を移築保存しています。 豊見城市教育委員会 2005年(平成17)1月設置 」
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