勝連城のお膝元、「南風原」の文化財?…井泉、文化財
うるま市勝連南風原集落は、かつて、勝連城南側傾斜地の元島原に発祥し、浜掟という役職にあった前浜三良の努力により、現在の肥沃な地に移動したといわれています。南風原の人々は、村づくりの大恩人として感謝し、報恩社を建てて、「カッチンバーマー」を祀っています。...
View Article親田家刻紋石柱、報恩社、カッチンバーマー頌徳碑、南風原ノロ殿内…「南風原」の文化財?
うるま市勝連南風原地区は、勝連地区の南西部、具志川地区と境を接し、勝連城のお膝元にあたります。南風原集落は、勝連城南側傾斜地の元島原にあったのですが、前浜三良(カッチンバーマー)の努力によって、現在の肥沃な地に移動したといわれています。 01-0606 勝連城跡 02-0606 親田家...
View Article浜崎の寺、クトジ御嶽、浜川ガー…「南風原」の文化財?
「浜崎の寺」は、健康、子宝に恵まれることの祈願所で、女シー、男シーがあり、南風原ノロ殿内とのつなぎがあるといわれています。 01-0608 浜崎の寺 02-0608 浜崎の寺 「浜崎の寺(ハマサチヌテラ)…この寺は、区民の健康、子宝に恵まれることの祈願所です。また、普天間権現とのつなぎがあって、ここから普天間権現へのお通しもできます。...
View Article「壺屋うふシーサー」と「さいおん・うふシーサー」…兄弟の巨大シーサー
「壺屋うふシーサー」と「さいおん・うふシーサー」は、壺屋焼で作られた「兄弟のうふシーサー」です。今回は、那覇市壺屋、「壺屋うふシーサー」前から、「ゆいレール牧志駅」近く、「さいおんスクェア」の「さいおん・うふシーサー」までのコースを、散策しました。...
View Article平和の礎、沖縄県平和祈念資料館、一中健児之塔、二中健児の塔…「慰霊の日」に向けて
沖縄県では、6月23日は「慰霊の日」(県の休日条例で定めた休日)で、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」が行なわれます。私は、この日、家族で、「魂魄の塔」をお参りすることにしています。...
View Article「キクの花」「花のくすだま」を供え、祈りを捧げる…「魂魄之塔」
6月23日は「慰霊の日」で、沖縄県内各地の「慰霊塔」で慰霊祭や追悼式が行われます。私は、家族で、「魂魄之塔」を訪ねました。8時頃首里を出発。この時間帯だと、渋滞もなく、スムーズに行くことができます。...
View Articleミニライブ、とうろう流し、喜屋武青年団エイサー、平和の光の柱…平和祈念公園
「慰霊の日」に、「魂魄之塔」を訪ねた後、夕方7時頃、「平和祈念公園」を訪ねました。目当ては、「平和の光の柱」「とうろう流し」などです。開始時刻の8時まで時間があったので、園内を散策していると、「平和祈念公園案内所」左手で、「ミニライブ」をしてるのを見かけ、しばらく鑑賞しました。何かしら心に響く、メッセージ性のある、いい歌でした。...
View Article陶芸センター、やちむん通り、南窯、すーじ小、ビンジュルグヮー、新垣家住宅、東ヌカー…壺屋やちむんの里
「壺屋大通り」から「壺屋陶芸センター」前を通り、「壺屋やちむん通り」を散策しました。「南壺屋焼物博物館」を過ぎると、左手丘の上に、「南窯(フェーヌカマ)」が見えます。小さな路地裏に入ると、「ようこそ壺屋の路地裏へ」「壺屋すーじ小」などの表示があり、いくつかの製陶所がありました。...
View Article壺屋大通りの「タイル画」:「魚、花」が大部分、「宝船、陶器、その他」も…
「壺屋大通り」から「壺屋陶芸センター」前あたりの、道路「タイル画」を撮り、集計してみると、「魚(27)」「花(27)」「宝船(4)」「陶器(2)」「その他(4)」となり、「圧倒的に、魚や花をデザインしたものが多い」ことがわかりました。同じデザインを用いたと思われる作品で、微妙に異なっているものがあり、制作過程に想いを馳せると、興味深いものがあります。風景を描いた素敵な作品もありました。...
View Article旭ヶ丘公園(小桜の塔、海鳴りの像、戦没新聞人の碑……)、対馬丸記念館、波上
那覇市若狭の「旭ヶ丘公園」一帯は、古くから信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれており、「波上宮」「護国寺」「波上ビーチ」などがあります。ここにも沖縄戦の爪痕が残され、「小桜の塔」「海鳴りの像」「戦没新聞人の碑」「殉職警察職員慰霊之碑」などがあります。...
View Article潮切りを設けた、六連の美しい曲線を持つアーチ橋…真玉橋
「真玉橋」は、琉球王府時代に、首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれ、元は木橋の五連橋で、中央を真玉橋といいました。その後、六連橋となり、大きく美しい曲線を持つアーチを連ね、潮切りを設けた、沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、沖縄戦で破壊されました。 01-0627 真玉橋 02-0627 真玉橋 03-0627 真玉橋 04-0627 真玉橋 05-0627 真玉橋...
View Article「米軍ジェット機墜落事故」を忘れない!…うるま市宮森小学校
1959年6月30日、嘉手納空軍所属のジェット戦闘機が、テスト飛行中にエンジントラブルを起こし、石川市立(現うるま市立)宮森小学校に墜落しました。事故当時、私は、隣の城前小学校6年生でした。犠牲者の中には、小学校3年生の級友I君もいました。宮森小学校には、「仲よし地蔵」が設けられ、毎年6月30日に、慰霊集会が行われています。今年は55年目を迎えます。...
View Articleウランダー墓、ペルリ提督上陸之地、沖縄の歴史と人類愛を印す場所…泊外人墓地
那覇市泊、「沖縄県立泊高等学校」(那覇市泊3丁目19番地の2)の近くに、「泊外人墓地」があります。古くから、中国人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、スウェーデン人などの外国人の墓があった所です。墓以外に、「ペルリ提督の記念碑」などもあります。墓地は現在も利用され、主に米国人が葬られています。墓地の一角には、「ゲットウ」が植栽されていました。 01-0504 泊外人墓地 02-0504...
View Articleジェット機墜落事故、55年目の慰霊祭、なかよし地蔵、平和の鐘の塔、ミニバスケット…宮森小学校
6月30日12時頃、うるま市石川の「宮森小学校」を訪ねました。今回は南門から入りました。小雨の中、校庭には、鎮魂の曲が流れていますが、航空機の騒音で、かき消されることがありました。こんな日に……と、沖縄の現実を思い知らされた感じがしました。...
View Article勝連城跡、南風原地区、南原小学校前バス停、壁画
うるま市勝連南風原集落は、かつて、勝連城の南、海岸側にありました。集落から勝連城に至る門は「南風原御門」と呼ばれ、城の北側には「西原御門」がありました。「カッチンバーマー頌徳碑」によると、「南風原村が元島から現在地へ移動したとき、内間村との先陣争いがあり、公事や三司官に百万陳情し、後手ながらも南風原村の移動が実現した。...
View Article「発掘調査、復元、整備」進む「世界遺産・勝連城跡」2014-(1)
うるま市勝連、世界遺産「勝連城跡」では「発掘調査、復元、整備」工事が進められています。勝連城跡は、世界遺産勝連城跡休憩所に「ヘンザガー」、「世界遺産勝連城跡」案内板近くに「門口のカー」、「四の曲輪」内に「仲間ヌウカー」「ウタミシガー」「夫婦ガー」など、城跡内外に、多くの「カー」や拝所があります。城内からは中国、元代の陶磁器が出土し、『おもろさうし』の記載からも、当時の様子を伺うことができます。...
View Article礎石のある殿舎跡「二の曲輪」、瓦ぶきの建物「一の曲輪」…「世界遺産・勝連城跡」2014-(2)
勝連城跡二の曲輪 には、城の中でもっとも重要な建物であったと考えられる、礎石のある大きな殿舎跡が発見されています。「ウミチムン火の神」「ウシヌジガマ」などもあります。「ウシヌジガマ」は、身を隠すだけの場所で、秘密の抜け道などに通じてはいなかったのでしょうか。このような場所では、すぐ捕らえられ、身を凌ぐことは難しいように思いました。...
View Article稲刈り、稲穂、ガードレールに稲干し!…金武町伊芸地区
金武町伊芸地区では、水田の2期作が行われています。「年間の流れ:3月…1期作の田植え、6月…1期作の収穫。8月…2期作の田植え、11月…2期作の収穫。11月…コスモスの種まき、2月…コスモスの開花(コスモス畑)。すき込み緑肥にする。」...
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