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地域の歴史・文化・自然を学ぶ活きた教材!

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  アマミキヨが最初に降り立ったといわれる「ヤハラヅカサ」、しばらく仮住まいをした「浜川御嶽」、琉球開びゃく七御嶽の一つ「藪薩御嶽」、稲作発祥伝説に関連した「カラウカハ」を訪ねました。

ヤブサツの浦原周辺

 

01-0112-1120 南城市緑地・遺産環境保全区域

「南城市緑地・遺産環境保全区域〜ヤブサツの浦原周辺〜…南城市玉城字新原の西側にある新原貝塚群から、東側はアイハンタ御嶽辺りまでの石灰岩丘陵地域と、稲作発祥地である『受水走水(うきんじゅはいんじゅ)』のある聖域全体は、『ヤブサツの浦原』と呼ばれています。琉球開びゃく神アマミキヨ伝来の聖地として、琉球国王が隔年旧暦4月、稲の初穂儀礼に聞得大君(きこえおおきみ)らを従えて『ヤブサツの浦原』や斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高島などを親拝されたことが、後の『東御廻り(あがりうまーい)』信仰につながっていきました。この地域には、カラウカハ・御穂田(みふーだ)・ヤハラヅカサ・浜川御嶽・崖葬古墳群・百名貝塚群・ヤブサツの御嶽等の貴重な文化財が集中しています。地域の歴史・文化・自然を学ぶ活きた教材として、次代を担う子供たちに受け継いでいくため【南城市緑地・遺産環境保全区域】として設定されています。平成19年6月 南城市・南城市教育委員会」

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03-0112-1140 ヤハラヅカサ

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06-0112-1158 浜川御嶽

「市指定史跡 浜川御嶽(はまがわうたき)神名・ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ…昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遙拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいをした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。この地は霊域として東御廻りの拝所である。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」

藪薩御嶽

 「南城市営百名団地」裏に駐車場があり、奥の歩道を入ると、「ヤブサチ御嶽」の標識があります。琉球開びゃく七御嶽の一つ「藪薩御嶽」ですが、御嶽の説明表示板などはありません。歩道奥に、「やぶさち広場」が2カ所あり、石のテーブルやイスが設置されていました。視野を遮るもののない広場から、近くに「アージ島」、遠くに「久高島」が見えます。百名団地の近くには、「ひかり輝く 百名っ子」の「南城市立百名小学校」があります。

参照(http://www.edu.city.nanjo.okinawa.jp/hyakuna/

07-0112-1114 市営百名団地裏駐車場

08-0112-1102 藪薩御嶽入り口

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「藪薩御嶽(やぶさつうたき)…参拝者の皆様へ 拝所は火気厳禁です。使用した線香・ウチカビ等は持ち帰って下さい。」

12-0112-1104 藪薩御嶽

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やぶさち広場からの眺望

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カラウカハ

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「カラウカハ…玉城新原集落の北西側にあり、知念の「ウファカル」、玉城受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)とともに稲作発祥伝説の舞台となっています。地元の伝承によると、今から約700年前、中国から稲穂を啣(くわ)えて飛んできた一羽の鶴が暴風にあってこの地に落ち、その稲穂がここで芽を出しました。早苗はアマミツ(地元の偉人)によって受水・走水の水田(御穂田みーふーだ)に移植され、琉球最初の稲作が始まったと伝えられています。現在は地域の拝所として、初ウビー(若水取りの儀式)などの行事に拝まれています(別名『天孫子ガー』)。南城市」

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たまぐすく焼のシーサー

 

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屋根の上のシーサー


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