浦添市仲間の「仲間樋川」と「仲間ンティラ」を尋ねました。当日は、樋川上の桜がきれいでした。「仲間樋川」は「仲間の拝所群」の一つで、仲間集落の「村ガー」として大切にされてきました。地域の人々と水との関わりを知る上で大切な文化財です。
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参照(浦添の文化財 http://www.city.urasoe.lg.jp/archive/8761234/bunka/bunka/bunka3.html)
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「仲間樋川は市内で最も大きな井泉(せいせん)の一つで、仲間集落の村ガー(共同井戸)として大切にされてきました。「樋川(フィージャー)」とは湧き出る水を樋で導き、水を容易に汲み取れるようにした井泉のことです。仲間樋川の樋は大きな琉球石灰岩を削ってつくった大変立派なものです。1731年に首里王府が編纂(へんさん)した『琉球国旧記』には『中間泉(中間邑にあり樋川と俗にいう)』の記述があり、その頃にはすでに樋が掛けられていたことがわかります。昭和10年にはコンクリートを用いた近代的な改修が行われ、現在の姿になりました。昼夜湧き出る水は、貯水・飲み水用の「水タンク」に溜(た)められ、次に洗濯などをする「平場」を経(へ)て、最後は農具や農作物の水洗い、馬の水浴びなどをする「ウマアミシ(溜め池)」に溜まるように造られました。そして。溢(あふ)れ出た水は苗代田(ナーシルダー)へ注ぐようになっていました。大切な水を飲用水、洗濯用水、雑用水、灌漑(かんがい)用水の順に利用する工夫がみられます。仲間樋川は沖縄戦で大きな被害を受けず、戦後は豊富な水量で中間の収容所に集められた数千人の生活水をまかないました。その後、上水道が普及する昭和40年代まで水を利用するたくさんの人々で賑わいました。井泉の清浄な水は人の体を育て、健康を保つ特別な霊力(れいりょくセチ)を持つと信じられ、人々の信仰対象にもなりました。その証として仲間樋川の樋の傍(かたわ)らには香炉(こうろ)が置(お)かれ、地域の大切な拝所(はいしょ)となっています。現在も旧暦五月・六月のウマチーや十二月の御願解き(ウガンブトゥキ)などの年中行事の際に、自治会で村拝みがおこなわれています。また、各家庭に水道が普及する以前は、子どもが生まれたときには産水(うぶみじ)をもらい、正月には若水(わかみず)を汲(く)んで家の火の神や仏壇(ぶつだん)に供えました。仲間樋川は人々と水との関わりを知る上で大切な文化財です。」
04-0120-1321 仲間樋川の整備について
「仲間樋川(フィージャー)の整備について…仲間樋川の整備に先立ち発掘調査を実施しましたが、残存する遺構は10年改修時のもでした。この調査結果をふまえ浦添市教育委員会および浦添市文化財調査審議会で検討した結果、今回の整備は10年改修時の姿としました。ただし、水タンクの整備については、?過去の樋川が樋と溜め池で構成されていたこと、?水タンクが本来の景観を損ねていること、?地域の方々が過去のように水とのふれ合いをもとめていることなどから、水タンクの上部を切り取った形のため池にしました。平成21年12月吉日 浦添市教育委員会」
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07-0120-1323 樋
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11-0120-1328 史跡 仲間ンティラ
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「浦添市指定文化財 史跡 仲間ンティラ(仲間の拝所群)…ティラまたはテラと呼ばれる拝所は、奄美・沖縄地方に分布し、その多くは洞穴(どうけつ)になっています。仏をまつる寺ではなくムラの神が鎮座しているところと考えられています。仲間ンティラも、横穴の洞穴になっています。『琉球国由来記』(一七一三年)に記されている長堂之嶽(ながどうのたき)が仲間ンティラにあたると考えられます。旧暦正月の初拝(はちうが)み、五月・六月の稲二祭(ウマチー)、十二月の御願解き(うがんぶとぅち)などの年中行事には、他の拝所とともに村拝みを行っています。戦前は、台座に蓮(はす)の葉が刻まれた石灯籠(いしとうろう)が建ち、拝みを行う祠は赤瓦葺きで、壁は石積みだったようですが、去る大戦で失われました。現在は洞穴一帯を埋め立て、再建した祠の中から洞穴に入る形に変わっています。平成十四年三月一日指定 浦添市教育委員会」
13-0120-1329 仲間ンティラ
14-0120-1329 仲間ンティラ裏側
15-0120-1328 仲間自治会館