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「沖縄諮詢会堂跡」「戦後教育発祥之地」「東恩納博物館跡」…うるま市石川

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 うるま市石川は、戦後、各地の難民(捕虜)収容所の中心で、戦後沖縄の「政治・経済・教育・文化」などの発祥地であり、「沖縄諮詢委員会堂跡」、「戦後教育発祥之地」碑、「東恩納博物館跡」などがあります。「うるま市立石川歴史民俗資料館」を訪ねると、各種史料や写真などを通して、終戦直後の石川の様子について知ることができます。

「うるま市立石川歴史民俗資料館…沖縄の「戦後政治・経済・教育・文化の発祥地」と言われる石川の終戦直後の様子を中心に展示する。戦後の沖縄行政の出発点、沖縄諮詢委員会、県立博物館の前身の東恩納博物館、沖縄戦後初の小学校、終戦直後の松竹梅の劇団、米軍服、HBTの更生衣料、2×4の材木で造った規格住宅、カンカラ三線など沖縄戦後の政治・経済・教育・文化・生活の発祥地ならではの資料、写真を展示。また、平成17年4月1日「うるま市」誕生より、旧市町の衣・食・住に関わる生活用具、生産に関わる農・漁具、衣類、葬制、民俗芸能などの民俗資料の展示を行う。」

引用(うるま市立石川歴史民俗資料館 http://www.city.uruma.lg.jp/1/201.html

01-1127 石川市街地(捕虜収容所跡)

 戦後、難民(捕虜)収容所が造られ、人口が急増した、かつての「石川市」(現うるま市石川)市街地を、「伊波城跡」から、撮影しました。

02-0302 沖縄諮詢会堂跡

03-0302 沖縄諮詢会堂跡

04-0302 沖縄諮詢会堂跡

「沖縄諮詢会堂跡 うるま市指定文化財第35号「史跡」 指定年月日:2005年(平成17年)3月1日…沖縄諮詢会は、戦後1945年(昭和20年)8月に、米軍政府と県民の意思の疎通(そつう)を図り、沖縄の再建について諮問(しもん)するための機関として米軍政府主導で設置されました。戦後初の行政執行機関であった沖縄諮詢会の執務は、1932年(昭和7年)に建築された民家を利用したこの会堂で行われました。 沖縄諮問会は、戦後初の行政執行機関で、沖縄各地の収容所から120名余の代表が石川に集められ、米軍が示した、?専門的知識を持っている、?一部の地域、階級にこだわらない、?日本軍部や帝国主義と密接な関係にない、?利己の利益を考えていない、という選考基準にしたがって15名の委員が選出されました。 翌1946年4月、東恩納に「沖縄民政府」が発足し、沖縄諮詢会は解消され、諮詢会堂も約8ヶ月でその役目を終えました。」

参照(8月20日 沖縄諮詢会設立(1945年) - 公文書館通信 - 沖縄県公文書館 http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/08/post-62.html

05-030 うるま市立城前小学校

06-0302 戦後教育発祥之地

07-0302 3戦後教育発祥之地

「本校は、戦後沖縄における学校教育発祥の地である。戦争の苦しみの中にあっても、なお教育を守りぬこうとする住民の熱意がもりあがり、昭和20年5月7日沖縄戦まだたけなわの頃、開校の実現を見たのである。全島が戦場化し、各地から難を避けて当地に集まった住民子弟のうち児童790名を集め、校長山内繁茂氏外職員20名、給仕1名、小使い2名、理髪師1名の人員をもって開校したのであるが、校舎はもちろん机、腰掛け、教科書、学用品など一物もなく、砂の上に指で字を書かせるということから教育が始まったのである。石川市教育委員会」

08-0302 うるま市立城前小学校

09-0302 うるま市立城前小学校

10-0302 うるま市立城前小学校

11-0302 うるま市立城前小学校

参照(うるま市立城前小学校 http://shiromae-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/index.php

12-0302 石川集会所

13-0302 石川集会所周辺

14-0302 石川集会所周辺

15-0302 中央地区住宅地区改良事業

16-0302 中央地区住宅地区改良事業

17-0302 中央地区住宅地区改良事業

「中央地区住宅地区改良事業…事業経過:戦後まもなく当地区は食料品、衣料品、その他日用品などを豊富に取り揃え商業活動の中心として公設市場を構築し発展していった。(写真上)しかし、昭和42年2月に市場内の木造トタン葺き倉庫から出火があり、またたくまに広がっていった。この大火で全焼55件、半焼10件となり沖縄でも戦後最大の公設市場火災があった地区である。 その後、焼け野原となった当地区に公社分譲住宅(5階建 1階部分は店舗)・市営住宅(5階建 1階及び2階部分は公設市場)を建築し、かつての賑わいを取り戻し石川市の中心市街地となった。(写真右下) しかし、近年になり大型店舗の郊外への出店や付帯施設の未整備により、客足が減り始め閉店となる店舗が多くなった。また建物の老朽化が著しく、コンクリートの亀裂や剥離(はくり)が多く見られるようになり、中心市街地の空洞化が進行していった。 そこで、当市では地域住民参加型のまちづくりによる基本構想を策定し、住宅地区改良事業を立ち上げた。本事業では老朽化し火災等保安上の危険のある不良住宅や店舗を解体し、従前の居住者のための健康で文化的な生活を営むことのできる改良住宅及び附帯施設を建築すること、また改良店舗の建築及び緑地や道路を一体的に整備することにより、以前に失われた中心市街地の商業都市機能を取り戻し、さらに拡充をはかり、石川市の「顔」となるような魅力のあるまちづくりを目的とした。」

18-0302 東恩納博物館跡

19-0302 金謝敷嶽(カンジャシチウタキ)

 「東恩納博物館跡」は、「東恩納公民館」の近くにあり、その近くには、「金謝敷嶽嶽(カンジャシチウタキ)」「神下毛(カンサギモー)」「雲古御嶽(クモコウタキ)」などの拝所がありました。

20-0302 金謝敷嶽

21-0302 東恩納公民館

22-0302 神下毛

23-0302 神下毛

24-0302 雲古御嶽

25-0302 雲古御嶽

26-0302 雲古御嶽


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