浦添市沢岻にある、「沢岻拝所」「沢岻樋川」を訪ねました。沢岻は、多くの拝所が存在する所ですが、周辺で宅地造成が進み、いくつかの拝所が合祀され、「沢岻拝所」ができたと言われています。近くに、「沢岻自治会館」、「たくし幼児園」「昭和薬科大学附属高等学校・附属中学校」があります。拝所裏には、「東ヒージャー」「チブガー」「ヒージャーガー」「ハンダガー」「東之トン」「上之トン」「中之トン」「西之トン」の合祀された拝所の香炉が置かれています。
01-0212 沢岻拝所1
02-0212沢岻拝所2
03-0212 沢岻拝所3
04-0212沢岻拝所裏の香炉1
05-0212 沢岻拝所裏の香炉2
06-0212 沢岻拝所裏の香炉3
拝所表には、右端に「根所」があり、「東のお嶽」「金満お嶽」「公芳お嶽」「中のお嶽」「公芳お嶽」「中のお嶽」「西のお嶽」「火水の守」がありました。「沢岻拝所」に隣接して、左手に、「慰霊碑」がありました。
07-0212 沢岻拝所4
08-0210 根所
09-0210 お嶽1
10-0210 お嶽2
11-0212 慰霊の碑
参照(浦添市ホームページ - 沢岻自治会 http://www.city.urasoe.lg.jp/article.php/s20120618115542439)
「沢岻樋川」は、「昭和薬科大学附属高等学校・附属中学校」駐車場、道向かいの坂下にありました。水質はかなり良さそうです。樋川近くからの眺望は絶景でした。
12-0212 昭和薬科大付属高校・中学校
参照(昭和薬科大学附属高等学校・附属中学校 http://www.showayakka-jh.ed.jp/)
13-0212 澤岻樋川1
14-0212 澤岻樋川2
「文化財 澤岻樋川(たくしひーじゃー)…当泉は一〇〇〇年余の歴史を有すると言われ、澤岻部落発祥の頃から地域住民に重宝され、子供が生まれた時には、産水を授かった由緒在る泉であります。琉球王朝の頃は、風水の方角が「亥の吉方」で水質も良いので、正月の朝、国王の長寿、繁栄を祈願し、「若水」を献上された名泉として広く知られております。当時、泉の前は石畳が敷かれ、浦添・中城・読谷方面より那覇、泊港へ唐船を迎える商いの道往還道路としてと利用され、人々は泉のほとりで一休みし、喉をうるおし語り合った場所でもあります。一九五〇年代までは、水量も豊富で近隣では、真赤な夕日を受けた金色の稲穂が雄大な田園風景をかもし出しておりました。
澤岻樋川(たくしひーじゃー)やかりーな泉(いじゅん) 首里御城(しゅいうぐすく)に若水(わかみじ)ゆうさぎてぃ 先年万年代(すにんまんでぇー)栄え(さけぇー)うにげ ひろし 一九九九年吉日修復」
碑文?……教育委員会などの、公的な設置者名がありません。
15-0212 澤岻樋川3
16-0212 澤岻樋川4
17-0212 奥の水溜め
18-0212 手前水溜め中央
19-0212 排水
20-0212 手前水溜め左
21-0212 手前水溜め中央
22-0212 手前水溜め右