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自然岩をくりぬいた城門-玉城城跡…東御廻り(4)

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 「玉城城跡」(南城市玉城)を訪ねました。坂(階段が設置されている)を上ると、自然岩をくりぬいた城門があります。城門前でカメラを構えている浦添市のMさんに会いました。夕日の撮影に来たそうです。何度か、朝日や夕日を撮りに来たといい、前日撮った写真を見せてくれました。水平線から上ってきた朝日が見事です。「夏至の日に会いましょう」といっていました。その日は、訪問時刻が遅く、急いでいたので、翌日、再度訪れました。

 城内には『天つぎあまつぎの御嶽』(神名『アガル御イベ、ツレル御イベ』)が祀られています。「二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。」という説明文に、愕然としました。当時は、文化財の価値に配慮する余裕がなかったのかも知れません。

 城壁は、自然の岩石と石積みをうまく組み合わせてあります。城内には、いくつか拝所があり、燃え残りの線香が残っており、「うちかびなどは持ち帰ってください」という表示がありました。

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「玉城城跡…この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。『島尻郡誌』では、『アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫即ち、天孫子であったという』と記述している。城跡は、一の郭。二の郭、三の郭の三つの郭からなる段階上の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。一の郭は、東北東に自然岩をくりぬいた城門を構え、城内には『天つぎあまつぎの御嶽』(神名『アガル御イベ、ツレル御イベ』)が祀られている。◎なおこの地域において許可なく現状を変更することは、県条例で禁じられています。昭和60年3月25日 玉城村教育委員会 沖縄県教育委員会 県指定史跡 昭和36年6月15日指定」

参照(玉城城跡 http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-37.html#sthash.6sBs3gds.dpuf

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城門

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城郭内

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門外-階段の最上部からの眺望

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城外から

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凧を操り水上を滑走する…カイトサーフィン!

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 「ヤハラヅカサ」(南城市玉城百名)を訪ねたときのことです。砂浜に下り、ツカサを探していると、右手方面がにぎやかでした。浜辺には、色とりどりの荷物が置かれ、ボーディングの準備をしている姿が見えます。上空をカイトが飛び交い、カイトを操りながら、ボードが海上を滑走しています。かなりの速さで、カメラが追いつきません。

 こんなに多くのカイトサーフィンを見たのは初めてで、しばらく眺め、撮影していました。ときどき、ぶつかりそうになり、ハッとすることがありました。動くものをカメラにおさめるのは楽ではありません。様子がわかるように、遠方から撮りました。

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「カイトサーフィン(kitesurfing)は、カイトボードというスポーツの競技種目。カイトボードは専用のカイト(凧)を用いて、ボードに乗った状態で、水上を滑走するウォータースポーツである。…カイトボードは、カイトボーディングとカイトサーフィンとに分類される。カイトボーディングは、ウェイクボードのようにグラブやロールなどのマニューバを主目的とし、フリー・ライディングまたはフリー・スタイルと呼ばれ、カイトサーフィンは、サーフィンのように波に乗ることを主目的とし、ウェイブ・ライディングまたはウェイブ・クラスと呼ばれる。カイトサーフィンはフライサーフィンと呼ばれることもある。…カイトボードの動力は、帆ではなく凧であることから、カイトセーリングという呼称を用いる例は稀であるが、カイトボードでの滑走をセーリングと呼ぶ表現は用いられることもある。引用(カイトサーフィン – Wikipedia)」

参照(そもそもカイトボードって何? http://www.jkba.jp/index.php?}option=com_content&view=article&id=48&Itemid=40

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アマミキヨが第一歩を印した場所!…ヤハラヅカサ

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 東御廻りのコースの一部、「ヤハラヅカサ」「浜川御嶽」「受水走水」(南城市玉城百名)を訪ねました。

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ヤハラヅカサ

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「ヤハラヅカサ…琉球開びゃくの神アマミキヨが、ニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられます。ヤハラヅカサ(碑)は満潮時に水没し、干潮時にはその全体が現れます。浜川御嶽(はまがわうたき)とともに、国王や聞得大君(きこえおおきみ)が4月の稲穂祭に参拝したところです。南城市指定有形民俗文化財。」

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 潮の干満により姿を変えるヤハラヅカサ。琉球開びゃくの神アマミキヨが降り立った場所といわれます。

参照(ヤハラヅカサ+浜川御嶽[ 「はまがわうたき」  南城市公式Webサイト
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-36.html

砂浜で憩う

 砂に描いた絵と夕暮れ時の海の様子です。砂浜で、海を眺めながら、いろいろ思いにふけりました。…命を生み育ててきた海、打ち寄せて返す波、日が昇り、沈んでいく自然の営み。…富を求めた争いの耐えない社会で、人々は心の拠り所を定め、祈り、日々の生活を営み、命を繋いできました。拝所廻りをしながら、沖縄には、身近に無数の拝所があり、節目ごとに祈りを捧げながら、心の平安を得てきたことがわかりました。一神教の神とは異なるものです。…

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浜川御嶽

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「市指定史跡 浜川御嶽(はまがわうたき)(神名・ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ)…昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遙拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいをした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。この地は霊域として東御廻りの拝所である。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」

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受水走水

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「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)(神名・ホリスマスカキ君ガ御水御イベ)…ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。『琉球国由来記』(1713年編)によれば、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田、高マシノシカマノ田に植えはじめた。又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」という所に落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツによって受水走水の水田(御穂田)に移植されたという。この地は東御廻りの拝所として霊域になっていて、旧正月の初午の日には、田植えの行事『親田御願』が行われている。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」

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参照(受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ) 南城市公式Webサイト
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-35.html

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 丘の上に灯りが見えました。文字が描かれています(1月2日)。

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全国名水百選!…垣花樋川

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 1月3日、5日、環境庁の全国名水百選に選ばれた垣花樋川(南城市玉城垣花)を訪ねました。

垣花樋川遊歩道から上る(1月3日)

 垣花樋川遊歩道を歩き、上って行きました。

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「垣花樋川(かきのはなヒージャー)(俗称シチャンカー)…天然の美しい川や泉を後生に伝えるという目的で推薦され、昭和60年に環境庁の全国名水百選に選ばれた。百選の中でも最初は全国で31件が選ばれこれに入選した。垣花樋川は集落の南端にあって、石畳の急な坂道(カービラ)を100メートルほど降りていくと、左側のうっそうと繁った林の中腹岩根から湧水が湧き出ている。かつては左側のイングンガー(女川)は女が使い、右側下のイキガンガー(男川)は男が使っていた。その下流の浅い水たまりはンマミシガー(馬浴川)、全体をまとめてシチャンカー(下の川)と呼ばれ、樋川から流れた水は下の田をうるおし、稲作が盛んであった。垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯、野菜洗い、水汲みをするためカービラ(川の坂)を行き来した。石畳道の途中には女たちが一息入れたナカユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヌヒライサー(上休み石の平石)が残っている。現在は、簡易水道として地域の飲料水等の生活用水や農業用水として利用されている。平成18年1月 南城市玉城字垣花」

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 東方海上に、久高島が見えます。

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 清水を利用して、健康に良い免疫力を高める食べ物といわれる「クレソン」を栽培していました。

「クレソンは、わさびなどと同じように、清流を好むアブラナ科の水生植物です。ヨーロッパが原産で、明治の初期に日本に渡来しました。川岸や小川に野生の状態で群生をみることができましたが、最近は、年々減少傾向にあります。日本語の別名で、ミズガラシとかオランダカラシなどと呼ばれています。引用(クレソンの栄養、効能効果-健康に良い免疫力を高める食べ方_php http://kenkou-tabemono.info/index.php?)」

参照(オランダガラシ – Wikipedia)

垣花集落方面から下りる(1月5日)

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 坂の途中に、「ナカユクイイシ(中休み石)」があります。

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 垣花樋川の手前、左手に「龍樋」がありました。

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 樋川の水溜まりで、二人の女性がサンニン(月桃)の葉を洗っていました。

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 帰り道、坂を上るのは、結構こたえ、息切れがしました。坂の途中に、「ナカユクイイシ(中休み石)」「イーユクイイシヌヒライサー(上休み石の平石)」設けた理由が分かります。

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 出口付近、右手に、陶房の表示がありました。

つぼみができた!…コスモス

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 12月10日以降、2週間ごとに訪ねている、金武町伊芸地区のコスモス畑(水田)の様子です。

コスモスの芽が出た(12月10日)

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本葉が出た(12月24日)

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つぼみができた(1月7日)

 コスモスは、周りの草花と競いながら、茎がしっかりしてきて、葉を茂らせています。数株の茎につぼみができているのを見つけました。

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サクラが咲いた!…安慶名中央公園

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 うるま市安慶名の「安慶名中央公園」を訪ねました。中部商業高校のすぐ近くにあり、あげな中学校、川崎小学校も近くです。駐車場の外側に、古い案内板が建てられていますが、説明表示がなく、どこになにがあるのかよくわかりません。階段を上って公園に入ると、立派な噴水があり、後方には、安慶名中央公園の石碑がありました。公園広場には、芝生が敷き詰められています。池のそばに、大きなガジュマルが2本ありました。川沿いには、桜の木があり、花が咲き始めていました。

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「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」…安慶名中央公園(2)

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「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」…安慶名中央公園(2)

 うるま市安慶名の「安慶名中央公園」は、広い敷地に、「安慶名城跡」「安慶名闘牛場」「慰霊碑」などがあり、歴史を学ぶ場、憩いの場となっています。

慰霊之塔・慰霊碑

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 広場の右手に階段が見えたので、広場を抜け、そこから回ることにしました。

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「この慰霊之塔は 過ぐる日露の役より第二次世界大戦に至るまで 無念にも戦没された肉親 同胞のご冥福を祈り 併せて未来永劫の平和を祈願するためにここ由緒ある城址の麓に市民の総意をもって建立する 昭和六十三年十一月 具志川市」

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「具志川市慰霊之塔境内に刻銘された合祀板は戦後50年で新たに確認なされた当市関係3400余柱の全戦没者、(軍人、軍属および一般住民)を慰霊之塔に合祀、誓って悲惨な戦争体験を風化する事なく平和を願うことを念じ記文奉納する。戦後50周年記念事業実行委員会 具志川市戦没者遺族会」」

安慶名闘牛場

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「私が選ぶ 新おきなわ観光名所 安慶名闘牛場 1995年4月15日認定 主催:沖縄郵政管理事務所 共催:沖縄県 沖縄ビジターズビューロー 琉球新報社」

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中央に闘牛の入退場門があります。

安慶名城跡

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 闘牛場裏に城壁が見えるので、入り口を探しましたが、なかなか見つかりません。近くにいた高校生に聞いてみたのですが、知らないとのこと。あきらめて帰ろうと思い、駐車場でバスケットをしていた中学生に尋ねると、正面の丘を指して、「あれが安慶名城跡です」と教えてくれました。ありがとうと礼をいうと、「上るのはきついですよ」と話していました。中央公園碑から芝生の広場を抜けると、左側に入り口がありました。

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「史跡 安慶名城跡 昭和47年5月15日国指定…安慶名城は、14世紀の頃、安慶名大川按司によって築城されたと伝えられ一名大川城とも呼称されています。城跡は天願川畔の平地に屹立する琉球石灰岩の山全体を占め自然の断崖を巧みに利用して城壁とし、さらに山の柱腹部から野面積手法によって城壁を築き上げています。中心部は山頂大地であり、これを泡護するように外郭をめぐらした輪郭式の構造をもっています。内郭南側に開口する城門までは、東側下方から斜面に沿って石造りの階段がとりつけられていています。城門は自然の岩盤の裂け目を利用して、これを一部掘削し、さらに切石を組み合わせて、アーチ状に建造したものとなっています。城門の間隔は約1.0mと比較的狭くしてあり、内部中央付近の上下両脇には扉をとりつけるための敷居・鴨居穴が見られます。城内からは中国製の陶磁器やグスク時代の土器等が出土しています。なおこの地域で許可を得ることなく現状を変更し、文化保存に影響を及ぼす行為をすることは、法律によって禁じられています。文部省 沖縄県」

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途中に休み場所が設けられていました。

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頂上からの眺望です。遠方まで見通すことができます。

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城跡から見おろした闘牛場です。

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「ヤシ科クロツグ」で、沖縄の御嶽に多くみられる植物です。

 城跡は、よく整備されているとは言い難いのですが、多くの植物に銘標が取り付けられていました。「クスノキ科ヤブニッケイ」「クロウメモドキ科リュウキュウクロウメモドキ」「トウダイグサ科クスノハガシワ」「ヤブコウジ科モクタチバナ」「クスノキ科タブノキ」「ヤシ科シンノウヤシ」「ニシキギ科マサキ」「クワ科ガジュマル」「カキノキ科リュウキュウガキ」「クワ科アコウ」「トウダイグサ科アカギ」「サトイモ科クワズイモ」など、いろいろな植物を見ることができます。

 

今日も元気でやる気のスイッチオン!…うるま市立川崎小学校

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校門(外側)

 

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 安慶名城跡近くの小学校、校門上の横断幕に、「今日も元気でやる気のスイッチオン!」と書いてあり、赤瓦屋根の校舎と併せて惹かれました。「うるま市立川崎小学校」です。

「にこにこ・いきいき・はきはき」を生活信条とし、『み・ほ・そ(認め・ほめて・育てる)』教育を推進している小学校です。ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー:英語指導助手)やNAT(ネイティブ・アシスタント・ティーチャー:母国語指導助手)等の人材活用、隣接するベクトル小学校との交流学習、JICA(国際協力事業団)との交流会等、国際理解教育及び英語教育の充実にも努めています。……

参考(うるま市立川崎小学校 

http://kawasaki-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/index.php?oid=14&dtype=1000&pid=2

 

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「ようこそ川崎小へ にこにこ・いきいき・はきはき」

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校舎入り口右側の「タイル画(?)」

 

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校舎入り口左側の「タイル画(?)」

 

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体育館外側のシーサー

 体育館内からは、元気なかけ声が聞こえます。2階外側のシーサーが児童の活動を見守っているようです。

 

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校舎入り口付近、プランターの花

 

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幼稚園側通路、ツワブキの花

グラウンドでの活動

 

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 タグ・ラグビー(?)でしょうか。コーチの指導の下、楕円形のボールを用い、男女一緒に活動していました。

参照(タグラグビーオフィシャルウェブサイト - 日本ラグビーフットボール協会 http://www.tagrugby-japan.jp/

 

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校門(内側)付近

 

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「命の泉 身に受けて 世界へ羽ばたけ 大志を抱いて」

 

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「未来へはばたけ 川崎っ子 元気に笑顔で また明日」


木に触れる・木であそぶ・木を感じる!…グッド・トイ キャラバン

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 豊見城市豊崎「TOMITON」で開催されている、「ぐッド・トイ キャラバン」に行きました。東京おもちゃ美術館の木のおもちゃ約300点を準備し、「木に触れる!」「木であそぶ!」「木を感じる!」企画(有料)です。無料コーナーもあります。到着時が、最終入場時刻18:30を過ぎていたため、入場できませんでしたが、しきりの壁越しに中を見ることができました。

参考(東京おもちゃ美術館 http://goodtoy.org/ttm/index.html
参考(めんそーれ!沖縄グッド・トイ委員会です http://okgoodtoy.ti-da.net/

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「『木』のグッド・トイだけを集めました。思い切り遊べます。日本全国を旅する移動おもちゃ美術館、グッド・トイキャラバン。…世界の、そして日本各地のグッド・トイだけを集めて、お声をかけていただければ、どこへでも行きます。シックな赤と黄、そして緑や白木のキャラバンセットは、どんな場所をも心がウキウキするようなおもちゃ美術館に変身させます。赤ちゃんから大人まで、幅広い層によろこんでいただいているグッド・トイキャラバン。今月もどこかの町で、木のおもちゃで遊ぶ楽しい音が響いています。」

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「木育、それは『木に学び、人と森と木のよい関係を知り、永続的に育みあう関係性を育てて行くこと』をめざす人間教育のこと。」

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地域の歴史・文化・自然を学ぶ活きた教材!

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  アマミキヨが最初に降り立ったといわれる「ヤハラヅカサ」、しばらく仮住まいをした「浜川御嶽」、琉球開びゃく七御嶽の一つ「藪薩御嶽」、稲作発祥伝説に関連した「カラウカハ」を訪ねました。

ヤブサツの浦原周辺

 

01-0112-1120 南城市緑地・遺産環境保全区域

「南城市緑地・遺産環境保全区域〜ヤブサツの浦原周辺〜…南城市玉城字新原の西側にある新原貝塚群から、東側はアイハンタ御嶽辺りまでの石灰岩丘陵地域と、稲作発祥地である『受水走水(うきんじゅはいんじゅ)』のある聖域全体は、『ヤブサツの浦原』と呼ばれています。琉球開びゃく神アマミキヨ伝来の聖地として、琉球国王が隔年旧暦4月、稲の初穂儀礼に聞得大君(きこえおおきみ)らを従えて『ヤブサツの浦原』や斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高島などを親拝されたことが、後の『東御廻り(あがりうまーい)』信仰につながっていきました。この地域には、カラウカハ・御穂田(みふーだ)・ヤハラヅカサ・浜川御嶽・崖葬古墳群・百名貝塚群・ヤブサツの御嶽等の貴重な文化財が集中しています。地域の歴史・文化・自然を学ぶ活きた教材として、次代を担う子供たちに受け継いでいくため【南城市緑地・遺産環境保全区域】として設定されています。平成19年6月 南城市・南城市教育委員会」

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06-0112-1158 浜川御嶽

「市指定史跡 浜川御嶽(はまがわうたき)神名・ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ…昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遙拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいをした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。この地は霊域として東御廻りの拝所である。昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会」

藪薩御嶽

 「南城市営百名団地」裏に駐車場があり、奥の歩道を入ると、「ヤブサチ御嶽」の標識があります。琉球開びゃく七御嶽の一つ「藪薩御嶽」ですが、御嶽の説明表示板などはありません。歩道奥に、「やぶさち広場」が2カ所あり、石のテーブルやイスが設置されていました。視野を遮るもののない広場から、近くに「アージ島」、遠くに「久高島」が見えます。百名団地の近くには、「ひかり輝く 百名っ子」の「南城市立百名小学校」があります。

参照(http://www.edu.city.nanjo.okinawa.jp/hyakuna/

07-0112-1114 市営百名団地裏駐車場

08-0112-1102 藪薩御嶽入り口

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「藪薩御嶽(やぶさつうたき)…参拝者の皆様へ 拝所は火気厳禁です。使用した線香・ウチカビ等は持ち帰って下さい。」

12-0112-1104 藪薩御嶽

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やぶさち広場からの眺望

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カラウカハ

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「カラウカハ…玉城新原集落の北西側にあり、知念の「ウファカル」、玉城受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)とともに稲作発祥伝説の舞台となっています。地元の伝承によると、今から約700年前、中国から稲穂を啣(くわ)えて飛んできた一羽の鶴が暴風にあってこの地に落ち、その稲穂がここで芽を出しました。早苗はアマミツ(地元の偉人)によって受水・走水の水田(御穂田みーふーだ)に移植され、琉球最初の稲作が始まったと伝えられています。現在は地域の拝所として、初ウビー(若水取りの儀式)などの行事に拝まれています(別名『天孫子ガー』)。南城市」

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たまぐすく焼のシーサー

 

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屋根の上のシーサー

沖縄の伝統的な石造井泉!…国指定重要文化財「仲村渠樋川」

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 南城市玉城仲村渠の、国指定重要文化財「仲村渠樋川」を訪ねました。「南城市立仲村渠児童館」「仲村渠農村公園」が隣接しています。児童館では、児童を送迎しているお父さんの姿がありました。農村公園は、緑の芝生が敷き詰められています。公園の端に東屋があり、周囲を一望することができます。

 「仲村渠樋川」は、石造りの水場、広場、拝所、共同風呂があり、石畳などとともによく整備されていました。広場のガジュマルの木が根を張り、堂々とした姿で、樋川を見守っている感じがしました。

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「仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)(国指定重要文化財:平成7年6月27日指定)…仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)は、仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉(せきぞうせいせん)を代表するものである。古くはうふがーと呼ばれ、水場に木製の樋(とい)をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912)から翌年にかけて、津堅島(つけんじま)の石工により琉球石灰岩などを用いて造り替えられた。その施設はいきががー(男性用水場)、いなぐがー(女性用水場)、広場、拝所(はいしょ)、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの湧水を貯水槽に貯え、水場へ流して使用されていた。昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され、土で埋められていたため、39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。更に、平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913)当時の樋川の状態に復元され敷地全体の景観が整えられた。同時にいきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復旧整備がなされた。共同風呂については、主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱二本・石壁の一部、水槽、洗い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。また法面保護のため、共同風呂北側及び広場東側に擁壁(ようへき)工事が施され整備された。玉城村教育委員会 平成17年3月31日」

参照(湧き水の郷「仲村渠樋川(ナカンダカリヒージャー)」〜沖縄県南城市玉城字仲村渠〜 http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_bunka/jyuuyou4/index.html

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 坂を下りて行くと、歩道が、コンクリートから石畳に変わります。

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 広場の右端にガジュマルが植えられ、左側には、水場、拝所、共同風呂があります。

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拝所

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石造りの樋口から水が流れています。

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共同風呂

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排水溝

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広場から石畳道が延びています。

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仲村渠児童館

参照(南城市立仲村渠児童館 http://www.city.nanjo.okinawa.jp/life/jidou4.pdf

「仲村渠農村公園」東屋からの眺望

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「仲村渠農村公園」東屋

 東屋から海側を見ると、視野を遮るものがなく、遠くまで見渡すことができ、まさに「絶景」でした。

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「久高島」が見えます。

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沖縄泡盛蔵老舗!…明治15年創業の「神村酒造」

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 うるま市石川嘉手苅の「神村酒造」を訪ねました。同社は、1882年(明治15年) 那覇市繁多川で創業した「沖縄泡盛蔵老舗」で、琉球泡盛「暖流」、「守禮」で知られています。平成11年、現在地に工場を移転しています。

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県道6号線沿いにあります

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古酒蔵

 13:30に予約し、「工場見学」をしました。見学行程は、「ビデオ上映→工場見学→試飲会」となっています(要予約:TEL 098-964-7628)。

 蔵元直売店奥のCaféでビデオ視聴後、工場見学に移りました。

「泡盛ができるまで

1.原料…原料には硬質米のタイ米を使用しています。硬質で長い粒のインド種(インディカ米)であるタイ米は、麹菌のつきがよく、酒にコクと旨みをたっぷりもたらします。2.洗米・浸漬…原料米に付いている糠(ぬか)を取除くために丹念に洗米を行います。その後、水を溜め、蒸すのに必要な水分を原料米に浸漬させます。

3.蒸米…浸漬した原料米を十分に水切りした後、蒸気で原料米を蒸しあげます。原料米は、蒸すことにより麹を造りやすい状態になります。

4.種付け…蒸し上がった原料米を適温まで冷まし、黒麹菌を散布します。

5.製麹…黒麹菌を散布した原料米を製麹棚(三角棚)に移し、温度管理をしながら麹の生育をはかります。黒麹菌の生育により、原料米のデンプンがブドウ糖へと変化していきます。

6.モロミ…仕込容器(モロミタンク)に生育した米麹と水、酵母を加えて発酵させ、モロミを造ります。 約2週間でアルコール度数18%前後のモロミが出来上がります。

7.蒸留…発酵し熟成したモロミを蒸留機に入れて蒸留することにより、泡盛が誕生します。アルコールが水より低温で沸騰する性質をうまく利用しています。

8.貯蔵…泡盛はカメやタンク・樫樽等に入れて貯蔵します。長期間貯蔵することにより熟成し味わい深い古酒へと成長します。

9.詰め…貯蔵した泡盛を商品別に瓶や壷に詰め、ラベルを貼り、箱詰めをして仕上げます。貯蔵年数やアルコール度数、容量や容器等によって商品が区別され、皆様のもとへと出荷されて行きます。

引用(神村酒造の泡盛ができるまで、製造工程写真 http://www.kamimura-shuzo.co.jp/factory.html)」

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古酒蔵入口

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蒸米機

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製麹棚(三角棚)

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モロミ

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横型循環式蒸留機

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100石タンク18,000L

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貯蔵カメ470L

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貯蔵樫樽

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使用済みの樫樽

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樫樽で製作したイス・テーブル

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模型

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古酒蔵地下階段

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古酒保存棚

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保存瓶のメッセージ

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試飲用酒

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ギャラリー「古酒蔵」商品

アマミキヨが居住した聖地!…ミントングスク

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 南城市玉城仲村渠にある「ミントングスク」を訪ねました。「仲村渠樋川」の近くにあり、「アマミキヨがヤハラヅカサに上陸し、浜川の洞窟(浜川御嶽)に仮住まいをした後、ミントンにグスクを築いて居住した」という説を伝える聖地です。東御廻りの巡拝地の一つで、久高島の人々との交流もあり、参詣者が絶えないと言われています。

 「ミントングスク」は案内表示がなく、場所がわかりにくいのですが、「仲村渠樋川」の近く、県道137号線の向かい側に見える小高い丘で、民家「ミントン旧家」に隣接しており、樋川から歩いてすぐ行ける所にあります。ミントン旧家の駐車場を抜けると正面に、「ミントングスク」入口石段が見えます。石段の前に拝所がありました。

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「ミントングスク」入口石段

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「掲示板 ミントン城は私有地となっています。管理運営のため、「百円の寄付金募る」(清掃・トイレットペーパー・水・他) 右記の件 ご協力お願い致します。※ここは祈りの場所です 地主」

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石段の左側

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石段

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 グスク内には、「ニライカナイへの遙拝所」「久高島への遙拝所」「火の神」「アマミキヨ・シネリキヨ墓」など、いくつかの拝所・遙拝所がありますが、説明表示がないので、どれなのかわかりません。

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入口左手の岩山

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アマミキヨ・シネリキヨの墓?

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グスクからの眺望

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久高島が見える

北部と中南部の断層上にあるグスク、鬼大城最後の地!…知花城跡

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 沖縄本島は、天願断層を境に、北部と中南部で、地質・植生が異なります。本島北部は、「名護層」「嘉陽層」と「今帰仁層」からなり、中南部は「島尻層」と「琉球石灰岩」からできています。北部の土壌は、「国頭マージ(酸性)」と呼ばれ、パイナップルなどの栽培に適し、イジュ・ヤマモモ・イタジイ・オキナワウラジロガシなどが見られます。一方、中南部の土壌は、「島尻マージ(中性から弱酸性)」と「クチャ(弱アルカリ性)」と呼ばれ、ゴモジュ・ガジュマル・ハマイヌビワ・アコウなどが見られます。

 「知花城跡」は、沖縄本島北部と中南部を区分する断層上にあるため地質学や植物学的に重要です。勝連按司の阿麻和を討伐した鬼大城(大城賢雄)の最後の地との伝承があり、グスクの南側斜面に、「鬼大城の墓」があります。

「沖縄の地質特性

・沖縄の地質は、本島北部は主に、粘板岩、千枚岩、片岩類から成る名護層(中生代)や砂岩・粘版岩互層、礫岩から成る嘉陽層(古第三系)で構成されている。

・本部半島では、半島中央部に古生代二畳系の本部層や中生代三畳系の今帰仁層の厚い石灰岩を主としている。

・本島中南部は新第三系の島尻層群(軟質な泥岩が主)が基盤をなし、上位に琉球石灰岩が基盤低地を埋めて地下水盆を形成している。

・琉球石灰岩は、サンゴから作られる石灰質の殻や骨格がサンゴ礁や周辺の海底に堆積し固結したもので、沖縄を代表する建築材料として使われている。

・島尻泥岩は地すべりを起こしやすい特性があるが、住宅や歴史遺産が多く存在している本島中南部に集中してみられ、地すべり災害が多く発生している。

・宮古島、伊良部島、石垣島南部、多良間島、波照間島、小浜島などの離島においても琉球石灰岩が広く分布している。

・石垣島北部には野底層群が、西表島には八重山層群が主に分布し、久米島には宇江城層と阿良岳累層、慶良間列島には慶良間層、渡名喜島には渡名喜層、硫黄鳥島には安山岩、大東列島には石灰岩と腐植土が主に分布している。」

引用(沖縄の山・川・海をとりまく特性 - 沖縄総合事務局 )

参照(沖縄島中南部地域の自然環境とその特性 宮城 邦治宮城 邦治)

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慰霊塔

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カンサヂヤー

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「知花(ちばな)グスク…標高87mのカルスト残丘地形に形成されたグスクで、地元ではチバナグシクと呼ばれています。グスクからは、中国製の陶磁器などが出土します。15世紀に武勇を誇った鬼大城(ウニウフグシク 大城賢雄おおしろけんゆう)の最後の地との伝承が残る場所でもあり、グスクの南側斜面には「鬼大城の墓」(市指定文化財)があり、北側には地元の拝所である「上之殿毛(イーヌトゥヌモー)」(市指定文化財)、「カンサヂヤー」が所在します。また、沖縄本島北部と中南部を区分する断層上にあるため地質学や植物学的に重要な地域となっています。沖縄市教育委員会」

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上之殿毛(イーヌトゥヌモー)

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階段を上ります

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倒木が放置されています

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階段が続きます

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まだまだです

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もう一息

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最上部が見えました

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展望台があります

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展望台階段

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展望台からの眺望

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頂上左手の拝所?

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「鬼大城(うにうふぐしく)の墓(はか) 市指定文化財(史跡) 昭和55年10月23日指定…大城賢雄(おおしろけんゆう)は大柄で武勇に優(すぐ)れ、俗(ぞく)に鬼大城と呼ばれた。1458年に首里王府軍(おうふぐん)の総大将(そうだいしょう)として勝連按司(かつれんあじ)の阿麻和(あまわり)を討伐(とうばつ)し、その功績(こうせき)で越来間切(ごえくまぎり)の総地頭(そうじとう)に任ぜられた。その後、政変(せいへん)で第一尚氏王統はほろび、鬼大城もこの地に追われ自害した。沖縄市教育委員会」

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南側階段

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龍宮

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知花城跡一帯

琉球国中山王陵!…浦添ようどれ

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 浦添市仲間の「浦添ようどれ」を訪ねました。浦添ようどれは「極楽寺」ともいわれ、英祖王が築いた琉球国中山王の陵墓です。「浦添グスク・ようどれ館」には、「浦添城跡」や「浦添ようどれ」に関する資料を展示してあり、墓室の様子を再現した一室もあるので、立ち寄って予備知識を得ると、理解が深まります。浦添グスク・ようどれ館098-874-9345)。「浦添城跡」「浦添ようどれ」の近くに、浦添小学校、浦添中学校、当山小学校、浦西中学校があります。

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「琉球国中山王陵 浦添ようどれ…琉球王国初期の王の墓で、極楽陵(ごくらくりょう)ともいいます。咸淳(かんじゅん)年間(1265〜1274年)に英祖(えいそ)王が築いたといわれ、その後、14世紀後半〜15世紀前半に石垣がめぐらされました。さらに1620年には、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、自らもここに葬(ほうむ)られました。ようどれの頂(現在地)から墓庭へは、まず急坂の石畳道を下り、かつてはトンネル状の通路であった暗(くら)しん御門(うじょう)を通って二番庭にでます。そして中御門(なーかうじょう)と呼ばれるアーチ門をくぐり抜けて、墓室のある広い一番庭(なー)にいたります。墓室は岩盤に大きな横穴を二ヶ所掘り、前面を石積みで塞(ふさ)いだつくりです。西室(向かって右側)が英祖王、東室(左側)が尚寧王の墓といわれています。募室の中には、中国産の石で作られた骨を納めるための石厨子(いしずし)があり、仏像などが巧みに彫刻されています。去る沖縄戦で、浦添ようどれの石積は大きく破壊(はかい)されましたが、戦後、琉球政府によって募室が修復され、平成12年〜17年には墓庭の石積が復元されました。「ようどれ」とは琉球の言葉で夕凪(ゆうなぎ)のことで、「ユードゥリ」と発音します。」

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階段を下りて行きます

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「尚裕氏の浦添ようどれ復元への功績を称える…琉球王国尚王家の陵墓・浦添ようどれは、国宝候補とされながらも沖縄戦で破壊され、その復元が大きな課題でありました。浦添ようどれを含む浦添城跡一帯が平成元年に国史跡に指定されたことから、本市が整備を検討していたところ、はからずも尚家第二十二代当主・尚裕氏から、3,629平方メートルの陵墓を浦添市民に無償贈与する意向が伝えられ、平成7年12月19日、贈与契約が交わされました。尚裕氏の英断をうけて、本市では平成9年から文化庁補助で復元工事に着手し、8年の歳月をかけて、ここに静謐な雰囲気の琉球王陵を蘇らせることができました。尚裕氏は復元工事をまたずして葬去されましたが、復元された浦添ようどれが再び戦渦に遭うことなく、尚裕氏の功績とともに永久に残ることを祈念します。平成17年4月29日 浦添市長 儀間光男」

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昭和9年頃の暗しん御門

「昭和9年頃の暗しん御門…暗しん御門は、加工した岩盤と石積みでできたトンネル状の通路のことです。薄暗くひんやりしていて、地下通路を通って『あの世』に行くような雰囲気でしたが、沖縄戦で天井の岩盤は崩れてしまいました。」

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石獅子

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日本一早いひまわり祭り!…ひまわりIN北中城

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 北中城村字喜舎場の「北中城中学校」裏畑で開催されている、『第5回ひまわりIN北中城』に行きました。高速道高架下の駐車場に車を停め、会場まで歩いて行きました。途中、歩道側には、「ひまわりIN北中城」の黄色の幟が立てられています。あちこちに、会場整理の人が立っていました。小学生らしい子どもたちが走っています。「ちびっこマラソン」です。きつそうに走っている子に、役員が、「きつかったら、歩いていいんだよ」と言ったとたんに、歩き出す子が続出しました。それでも、頑張って走り続ける子がいます。

 ひまわりの開花状況は6割程度です。1万平方メートルの畑に、40万本のひまわりが植えられているそうです。畑・場所により、開花の程度がかなり異なります。全体としては、一週間後あたりが見頃だろうと思いました。あちこちで、ポーズをとり、写真撮影していました。アベックもいます。

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駐車場

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第一会場手前の畑では、ほとんど開花していませんでした。

「『第5回ひまわりIN北中城』開催

 日 程 : 平成25年1月26日(土)〜2月11日(月)

 場 所 : 北中城中学校裏畑(北中城村字喜舎場306番地周辺)

 約1万?の畑に、40万本のひまわりが咲き誇る!!

 休日は、周辺農家による新鮮な野菜即売会や、各種団体による飲食物販売、特産品販売 などを実施しています!!」

引用(北中城村ホームページ  産業振興課  第5回ひまわりIN北中城

http://www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/site/view/contview.jsp?cateid=18&id=943&page=1http://www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/site/view/contview.jsp?cateid=18&id=943&page=1

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ひまわりが咲きほこる北中城村へようこそ

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ひまわり祭り第一会場

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北中城中学校

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復元整備工事中の「中山王城」!…浦添城跡

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 浦添市仲間の「浦添城跡」を訪ねました。「浦添城跡」は国指定史跡で、城内の数カ所で発掘調査が行われ、城壁などの復元工事が進められています。「浦添城跡」の手前にある「浦添グスク・ようどれ館」には、城の古写真や発掘調査成果のパネル、出土遺物などが展示され、浦添グスクと浦添ようどれの歴史を学ぶことができます。

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「国指定史跡 浦添城跡(うらそえじょうあと) 平成元年8月11日指定…浦添グスクは、首里城以南の中山(ちゅうざん)王城として知られています。発掘調査から、十四世紀(せいき)頃の浦添グスクは、高麗系瓦(こうらいけいかわら)ぶきの正殿(せいでん)を中心に、堀(ほり)や石積(いしづ)み城壁(じょうへき)で囲まれた巨大なグスクで、周辺には王陵(おうりょう)・寺院・大きな池・有力者の屋敷・集落などがあったと考えられています。後の王都(おうと)首里の原型がここでできあがっていたようです。王都が首里に移された後、浦添グスクは荒廃しますが、一五〇〇年前後から一六〇九年の薩摩藩(さつまはん)の侵攻までは浦添家の居館(きょかん)となりました。さる沖縄戦では、日米両軍の激(はげ)しい戦闘(せんとう)により、戦前まで残っていた城壁も大部分が破壊(はかい)されましたが、これまでの発掘調査によって、石積み城壁の基礎(きそ)や敷石遺構(しきいしいこう)、建物跡などが良好に残っていることが確認されています。浦添市では現在、史跡浦添城跡復元整備事業を進めているところです。 平成二十年十一月二八日 浦添市教育委員会」

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発掘調査

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「伊波普猷(いはふゆう)の墓…伊波普猷は、明治九年に那覇に生まれました。沖縄尋常中学(首里高校の前身)を退学処分された後、本土に渡り三高(後の京都大学)から東京帝国大学に進んで言語学を修めました。東大在学中から、浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた『浦添考』など、すぐれた論文を発表しています。帰郷して県立図書館長となった伊波は、歴史研究のかたわら、琉球処分後の沖縄差別で自信を失った県民に自信と誇りを回復する啓蒙活動を行います。大正十四年に再び上京していますが、戦争で米軍に占領された沖縄の行く末を案じつつ東京で亡くなりました。その後、伊はの研究にゆかりの深い浦添の地に墓が作られ、永遠の深い眠りについています。浦添市教育委員会」

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伊波普猷の墓

 

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サクラの蜜を吸うメジロ

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和光地蔵尊

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浦和の塔

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「浦和の塔…浦和の塔は、沖縄戦で散華した人々を祀る慰霊の塔です。一九五二年に市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されたもので、納骨堂には浦添城跡を中心に市内各地で散華した軍人や民間人五、〇〇〇人余柱が安置されており市では毎年十月には、慰霊祭を催し英霊を慰めています。 浦添市役所」

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地蔵菩薩

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ガマの中

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「この慰霊塔は 西暦一九四五年昭和二十年の 沖縄戦で護国の神と殉した忠霊の冥福を祈り併せて再び浸すまじき戦争えの道と地上永劫の平和の祈りをこ西暦一九五二年昭和二十七年三月浦添村民の浄財により建立され 更に一九六三年三月昭和三十八年南方同胞援護會の援助で補修工事がなされた 塔名は津津浦浦の平和の守護神として忠霊の照覧鎮座を願い『浦和の塔』と命名したものである。軍属及び民間人五千余柱を安置し毎年十月に村主催の慰霊祭を行っている。一九六三年三月 浦添村」

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浦添王子遺跡

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城壁

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トゥン

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展望台

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広場からの眺望

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浦添城の前の碑

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「浦添城の前の碑…この石碑は、一五九七年に浦添グスクと首里を結ぶ道路を整備した時の竣工記念碑です。石碑の表に平仮名の琉球文、裏に漢文で、尚寧王の命により国民が力を合わせて岩を刻んで道路をつくったことが記されています。碑首は、一六世紀の琉球王国の象徴文様である日輪双鳳雲文(にちりんそうほううんもん)で飾られています。石碑の前の大きな石は、『馬ヌイ石』と呼ばれ、馬に乗るための踏み台といわれています。もとの石碑がさる沖縄戦で台座もろとも破壊されたため、一九九九年に復元しました。浦添市教育委員会」

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カガンウカー

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石畳道

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カラウカー

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クチグヮーガマ

「クチグヮーガマ…洞穴の入口が人間が口を開いたかたちに似ていることからこの名がついたという。内部は広く、戦時中は住民の避難壕(ひなんごう)となった(仲間六班の壕)。浦添グスクには、こうした住民避難壕や旧日本軍陣地(じんち)壕といった戦跡(せんせき)が数カ所に存在している。」

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琉球の王朝の国劇・組踊の創始者「玉城朝薫」の墓

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 浦添市前田にある、「玉城朝薫の墓(辺土名家)の墓」を訪ねました。「前田トンネル」のすぐ近くで、道向かいに、「沖縄国際センター JICA沖縄 (http://www.jica.go.jp/okinawa/)」があります。道路を作る際、丘陵上に文化財などがあると、トンネルを作り、文化財を保護するのです。以前から、「前田で、道を開くのに、丘を切り取らず、トンネルにしているのはなぜだろう?」と思っていましたが、「玉城朝薫の墓の墓」を訪ねることにより、「そうだったのか」と納得しました。

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前田トンネル

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トンネルを抜けると

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左手に「玉城朝薫の墓」が見える

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階段を上る

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「玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓(辺土名家の墓)…辺土名家は、玉城間切(まぎり)の総地頭職をつとめた家柄で、同家十代目の玉城朝薫は、琉球の王朝の国劇・組踊(くみおどり)の創始者として知られています。朝薫は、首里王府の踊奉行(おどりぶぎょう)をつとめ、琉球の故事(こじ)と江戸上(えどのぼ)りの際に見た能楽(のうがく)・狂言(きょうげん)・歌舞伎(かぶき)をもとに、組踊五番と呼ばれる『二童敵打(にどうてきうち)』『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』『銘刈子(めかるしー)』『女物狂(おんなものぐるい)』『孝行(こうこう)の巻』を創作しました。この墓は、墓室の天井を四本の柱で支える形式で、墓の前庭の石垣は撥形(ばちがた)に開いています。十七世紀後半に造られたと推定されています。十七世紀後半から十八世紀前半に中国の影響を受けて亀甲墓(かめこうはか)が成立していく時期の特異な構造をしています。史跡指定 平成七年8月8日 浦添市教育委員会」

 下記のサイトは、「ようこそ組踊へ」「組踊の歴史」「組踊の演出」「演目鑑賞」「組踊を楽しもう」の5つのコンテンツで構成され、玉城朝薫や組踊についての理解を深めるのに役立ちます。

参照(組踊の誕生と「朝薫五番」 http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc19/rekishi/soshisya/index2.htm

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墓に向かう

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沖縄国際センター

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浦添警察署方面への道路

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丘陵に浦添グスクが見える

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浦添警察署方面への道路

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首里方面に向かう

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「日本一早咲き」「ひとあし、お咲きに」!…本部八重岳桜まつり

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 本部町並里の八重岳を訪ねました。「日本一早咲き」「ひとあし、お咲きに」をキャッチフレーズに、「本部八重岳桜まつり」が開催されており、1月18日〜2月2日の花見期間中、土・日に、「八重岳桜の森公園」で各種イベントが催されます。インターネットでルートを検索し、確認してから出かけました。

 ルート…「那覇〜沖縄自動車道56.3km〜高速許田IC、名護・本部方面1.3km〜国道58号線7.1km〜白銀橋を左折、県道84号線10.6km〜(「本部八重岳桜まつり)の表示)左折800m〜右折、目的地は前方左側800m 本部町並里921八重岳桜の森公園管理事務所」

 八重岳入口から、桜並木の間をゆっくり進み、花見のポイントを探しながら、「八重岳頂上広場」まで行きました。

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「八重岳通信所は、平成6年に大部分が返還(いわゆる「23事案」の1つ)され、現在では通信施設とその周辺の部分からなっています。通信施設であることから、演習等は行われていません。また、進入路沿いは桜の名所となっており、県内外から多くの人々が訪れます。」

引用(FAC6006八重岳通信所/沖縄県 http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/1179.html)

 「頂上広場」の駐車場は空いています。去年は、ちびっ子の一団が来ていましたが、その日は、曇り空でときどき小雨がぱらつき、とても寒く、閑散としていました。車の中で、持参の弁当を食べ、広場に行くと、広場奥の上方階段の先に、「八重岳桜大明神」と書かれた社が設置されていました。入口左右には、表情豊かなシーサーが並べられ、「開運」と書かれたひな壇には、「良縁成就」「身体健全・病気平癒」「請願成就」「家内安全・商売繁盛」「学業成就」の五体のシーサーが鎮座しています。社の柱に、「桜大明神は、宗教的なものではございません」と書いた紙が貼られていました。

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 「頂上広場」から「八重岳桜の森公園」まで下りながら、数カ所のポイントで車を停lめ、八分咲きの桜をじっくり観察し、写真撮影しました。メジロの姿は見えません。木により、薄いピンクから濃いピンク、咲き具合も、六分から八分と異なり、周りの木々の緑の中で映えています。道の途中に、「八重岳の桜に見とれるかつおのぼり…五平かつ夫」など、いくつかの句が掲げられていました。

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八合目付近に、「三中学徒の碑」がありました。

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三中学徒の碑

「三中学徒の碑…太平洋戦争も末期の昭和二十年三月米軍の烈しい砲爆撃の中を 沖縄県立第三中学校生徒数百名は 軍命により通信隊要員または鉄血勤皇隊員としてあるいは繰り上げ現役入隊の形で 郷土防衛の戦烈に馳せ参じた 四月一日 米軍の沖縄本島に上陸するや 陸上戦の火蓋は切って落とされ 我が三中の生徒はここ八重岳・真部山地区そして多野岳その他各地において圧倒的に優勢な米軍と果敢な戦闘を展開し数十名が あたら十代の若き生命を無惨にも散らしてしまった 彼等の三十三回忌を迎えるに当たり 学業半ばにして斃れ 諸々の思いを残して逝った彼等の霊を慰めるとともに 平和の礎となって散華した彼等の死を永く後世に伝え 二度と再びかかる残酷悲惨な戦争を惹起することがないよう 我等はもとより 子々孫々に至るまでの永遠の戒めとして ここにこの碑を建立する 諸霊よ 安らかに眠り給え 我等は常に諸霊とともに在らん 昭和五十二年4月16日 沖縄県立第三中学校生存学徒一同」

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八重岳桜の森公園管理事務所

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 「サクラの森公園」の案内板によると、桜開花状況は、「頂上八分、中腹七分、ふもと六分」だそうです。桜・さくら・サクラ……サクラを思いっきり堪能した一日となりました。

コスモスが咲き出した!…伊芸地区のコスモス畑

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 金武町伊芸地区のコスモス畑(水田)を訪ねました。2月末の「コスモス畑」に向けて、コスモスの生育状況を知るためです。

参照(つぼみができた!…コスモスhttp://blog.goo.ne.jp/nrai5029knai/d/20140108

「芽が出た(12月10日)」「本葉が出た(12月24日)」「つぼみができた(1月7日)」

 コスモスは、周りの草たちと競って生い茂り、つぼみをつけた株が増えています。かよわいイメージとは異なり、「たくましさ」を感じます。つぼみはだいぶふくらみ、ポツポツと、咲き出しました。全体から見ると、ほんのわずかですが、2月末の「コスモス畑」に合わせ、種まきなどの段取りをしたものと思います。2週間ごとに訪ねると、変化がはっきり分かります。満開のコスモス畑になるまで、今後が楽しみです。

コスモス畑周辺

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沖縄自動車道方面

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伊芸地区集会所向かい

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伊芸地区集会所方面

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伊芸地区公民館方面

コスモスのつぼみ

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コスモスの花

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