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「字城間泉小公園」「牧港漁港」「字沢岻めじろ公園」…おもろの碑

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 浦添市内の「おもろの碑」−「字城間泉小公園の碑」「牧港漁港の碑」「字沢岻めじろ公園の碑」を訪ねました。

参照(浦添の歴史を探る|おもろの碑 http://history.urasoeshikankou.jp/omoro.html

01-0214 字城間・泉小公園

02-0214 字城間・泉小公園

03-0214 字城間・泉小公園の碑

04-0214 字城間・泉小公園の碑

05-0214 字城間・泉小公園の碑

【対訳】 城間の長老様 長老様の広い庭に 降り直せ 神たち 神 又吉の長老様

【解説】 城間の長老の広い庭に 神女たちがつどい、神歌をうたい、踊りつつお祭りをする状況を詠んだオモロです。 ムラには長老(男性)がおり、祭りをする広場がいくつもあって、神々に祈る神女たちもいました。古琉球の神遊びの情景を伝えるオモロです。城間を詠んだオモロは七首ほどありますが、ここに紹介したものはその中の代表的なものの一つです。又吉は城間のとなりにあったと思われる古いムラの名前です。

06-0214 牧港漁港の碑

07-0214 牧港漁港の碑

08-0214 牧港漁港の碑

09-0214 牧港漁港の碑

10-0214 牧港漁港の碑

「ここ浦添の地は、舜天・英祖・察度の三王統が栄え、古琉球の政治・経済・文化の中心地でした。このことを物語るように、おもろでは、浦添を『うらおそい』(浦襲い)、『しまのおや』(島の親)、『あぢのすでおや国』(按司の生まれる御国)と讃えられています。また当時の浦添の範囲には、現在の宜野湾市と那覇市・西原町の一部が含まれ、北谷・読谷も親しい共同の地でした。おもろとは、1531年から1623年にかけて首里王府によって編纂された『おもろそうし』全22巻に収められた古い歌謡のことで、全部で1554首あります。この碑文は、1372年に明の太祖の紹諭を受けて、琉球史上初めて中国と進貢貿易をおこなった察度王の偉業を賛美したおもろといわれるもので、歌意は次のとおりです。1.ジャナモイ・(察度王)は、どのような立派な親が生んだ子か、人々がその美しさを讃え見たがるよ

1.多くの按司が待ち望んでいた宝庫を、シャナモイこそ開けた

1.ジャナモイが謝名の上原に登って、けあげた朝露さえも香ばしい尋常でない勇姿を頌(うた)っています。察度王(1321年〜1396年)は、浦添間切謝名村の奥間大親と天女との間に生まれたと伝えられています。そして、英祖王統最後の王西威の後を継いで中山王となって王統を開き、在位は46年間(1350年〜1395年)におよびました。中国・朝鮮との貿易を開始し、中国へ留学生を派遣して、琉球の経済・文化の発展に大きな業績を残しました。この頃、琉球人が到着する港は泉州港でした。よってこのおもろの碑を、中国泉州市と浦添市との友好都市締結を永く記念するために、進貢貿易ゆかりの牧港港に建立します。なお、原石の加工・刻字および輸送は、中国泉州市のご厚意により寄贈されました。1988年9月23日」

11-0213 字沢岻・めじろ公園

12-0213 めじろ公園・中の殿

13-0213 めじろ公園・中の殿の御嶽

14-0213 めじろ公園・中の殿の御嶽

15-0213 字沢岻・めじろ公園の碑

16-0213 字沢岻・めじろ公園の碑

17-0213 字沢岻・めじろ公園の碑

このおもろは、尚清王の名付け親だった沢岻親方(?〜1520年)を讃えたものと言われている。歌意は、沢岻盛里つまり沢岻の太郎名付けの名声が、国・郡・村々にまで鳴り轟(とどろ)き、多くの人々に慕われているようすを歌っている。盛里は中城按司護佐丸の孫で、尚真・尚清父子二王の信任がきわめて厚く、正徳年間(1506〜22年)に三司官に任ぜられ、嘉靖元年(1522年)には王舅(おうきゅう)となって中国へ遣いして王を乗せる鳳凰轎(ほうおうきょう)と首里城崖下龍樋(りゅうひ)の吐水龍頭(とすいりゅうとう)をもたらしたことで知られている。

18-0213 字沢岻・めじろ公園


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